ハイブリッド経営のすすめ-短中長

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皆さん、ご応援ありがとう!今日も「2.ハイブリッド経営のすすめ」を続けます。

2-3 短中長

時間軸をどうとらえるか、1月とか1年という足許の短期、2、3、5年という中期、10年、20年或いは100年という長期の区分がある。個人の生活でも今日明日今月という短期の問題は現実を見つめテキパキと処理し、来年再来年の計画はきちんと立て、10年先の夢は大きく・楽しく持つだろう。グローバル民間企業の経営でも短中長の時間軸をバランスよく考えることは重要だ。世界各地でいろんなことが次々に起こるから、毎日、毎月が忙しい。だが、24時間目先の対応に追われてばかりでは、会社がどこを向いて走っているのか社員には分からない。短期の課題もおろそかにせず片づけながら、来年はこうするという計画を示し、その先に10年、20年先はこうだというビジョン、夢を示すのが指導者役割だ。現実には足許で油断すると先を見過ぎたりしてつい転んでしまう。夢が語れなければ、その日暮らしかと馬鹿にされる。実際には、短期重視派と長期志向派があるが、あまり短期の利益追求では面白くない。自分の失敗でもあるのだが、取締役の任期を株主の意向だと一年刻みにしてしまったのなどは、役員に緊張感を植え付ける上では一定の効果はあったかもしれないが、日本の企業経営の美点でもあった長期志向の経営を、焦る取締役自身がつぶしてしまった感がある。個人、会社、国家どれをとっても短中長の時間軸の取り方のバランス感覚が大事である。100年の計を馬鹿にしては大成しない。ハイブリッド経営の時間的側面である。(続き)

最後までお読みありがとう。また次回ね!

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谢谢各位的支持!今天也继续「2.有关混合型経営的薦言」这个话题。

2-3 短中长

我们该如何绘制时间轴呢,就时间单位而言,有1个月或者1年的短期,2,3,5年的中期,10年,20年或者100年的长期区分方式。 続きを読む

コマツ経営風土の改革(続き1)-小松经营风土的改革(续1)

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こんにちは、安崎暁グローバル企業発展研究会会長の安崎 暁です。

ブログをご注目ご応援の皆様、ありがとう。前文では本題+Wangさんへの質疑応答でしたが応答が終わってないため今日も続きます。

質問:コマツは多様性、柔軟性、ハングリー精神をグローバル経営にどのように工夫して植えつけたか?
—90年代委員会の取り組み

回答(前文に続き)
3.1985年、48歳の私はコマツの取締役に選任された。自分では遅いとうぬぼれていたが、周囲の人は早すぎる出世だと多少のやっかみもあった。
取締役会に出席した時になんとなくピンとこない感じに悩まされた。当時の日本の大会社は似たり寄ったりであったが、取締役の数が多すぎコマツでも25人。(尤も少なければ、自分はまだ選ばれていない!)最高の意思決定機関であるはずなのにまともな議論は期待できない。重要事項を上位取締役数名の経営会議で議論、決定し取締役会ではこれを追認していた。社長の独裁も起こりやすい。取締役が自己部門の事柄のみに責任を持ち、全社の課題や他部門の問題には口をはさまないので部門最適・全体不適の弊害が起こりやすい。特にグローバル化への対策は危機意識とスピード感覚が欠けていた。生意気な奴と時に先輩取締役から反感をもたれながらも、国内外の営業実績を武器に徐々に社内での発言権を増やしていった。
1988年私の前任の片田哲也さんが社長に就任、私は経営企画の担当となった。彼は経営のハードとソフトを分けて考え、ハード(開発、生産、マーケティング、管理など)の施策の他、経営風土などソフトの改革が重要だと認識していた。プラザ合意以降の急激な円高進行の時代に国内外の営業現場を担当してきた私は21世紀のグローバル経済に対処する社内の体制を整備することが急務だと考えていた。社長と方向性が一致したので、10年先のグローバルな経営課題への対策を定め1990年代の内に先手を打とうと若手社員を中心とする全社横断の90年代委員会を立ち上げた。初めは経営風土などソフト面の改革を中心とした。上下左右、縦横斜め、もっと自由に率直に議論し、良いということを素早く実行するには何が障害か、その障害を取り除くのにどうすれば良いか?悪いニュースをトップに素早く上げるにはどうするとよいか?世界中の社員に不祥事を起こさぬような仕事をしてもらうためのトップの覚悟は何か?ダラダラ残業をなくし、仕事と家庭を両立させるための会社の役割、責任は何か?日本人以外の外国人にもコマツマンとしての権利と義務、参加意識と責任を持ってもらうにはどうするか?等々90年代委員会で、アフター5でなく、勤務時間中に侃侃諤々の議論をしていた。(続き)

今日の脱線談はこの辺でおしまいにしましょう。最後までお読みありがとう。また次回ね!

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大家好!我是安崎晓跨国企业发展研究会会长安崎 晓

谢谢各位对我博文的关注和声援。前文本题之后跑题回应了Wang桑的提问,不过回答尚未结束,因此今天继续跑题谈。

提问:小松是怎样成功地把多样性,柔软性,不懈追求精神根植于全球化经营里的?
—90年代委员会的拼搏

回答(续前文
3.1985年,48岁的我当选为小松的董事。我自己有点大器晚成的感觉,而周围却也不乏说我出头太早的红眼病人。
最初出席董事会时我有点困扰,因为觉得与大家有些不合拍。当时的日本公司都大同小异,董事人数太多,小松董事会也是25人的阵营(人数少的时候我还没当选)。本该是最高决策机关的董事会,却没能讨论什么正经大事。重要事项由位居高位的几名董事在经营会议上讨论决定后,董事会走走事后认可程序而已。其结果,首先是容易引发社长的独裁,其次董事们也只对自己部门事务负责,对全公司的课题以及其他部门的问题采取不闻不问的态度,由此滋生出有利局部(部门)而不利于总体(公司)的弊端。特别是在全球化对策方面更缺乏危机意识和速度感。更有骄狂之辈,置前辈董事们的反感于不顾,以其在国内外的营业实绩为武器在公司内逐步增强了发言权。
1988年,我的前任片田哲也先生就任社长,我负责经营企划工作。他把经营分成硬件和软件分别对待,在实施硬件(开发,生产,市场营销,管理等等)对策的同时,还认识到在经营风土等等软件方面进行改革的重要在。在广场协议后的日元急剧飙升时代负责过国内外营业现场工作的我也认识到,整顿并构筑一个能在21世纪全球化经济大潮中胜出的公司体制已成为了紧迫要务。我的思路和社长的方向性是一致的,因此作为10年后全球化经营课题对策,我在1990年代先下手为强,创设了横断整个公司的90年代委员会,成员以年轻员工为中心。委员会的工作最初以经营风土等等软件方面的改革为主。讨论的问题各式各样,包括:在公司里上下左右,纵横斜向,方方面面都能快速,自由,直率地展开讨论,形成这种良好风气存在什么样的阻力,如何才能排除这些阻力?如何才能让坏消息快速反映到高层?高层该如何做才能让遍布全世界的员工们能预防不祥之事的发生并得以好好工作?要整治拖拖拉拉的加班风气,让员工们能工作家庭两不误,公司该充当什么样的角色,该担负什么样的责任?怎么做才能让外国员工也意识到自己作为小松人所拥有的权利和该尽的义务,增强他们的参与意识以及责任感?等等,90年代委员会针对各种各样的问题展开了活跃的议论,不在下班后,而是在上班时间里侃侃而谈,畅所欲言。(续)

今天的跑题之谈就到此为止。谢谢阅读。再见!

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