祖父の漢詩が、中国へ誘った~「夢を蒔く」からの抜粋

  前回のブログに、若頃の安崎先生が中国官僚との「雨降って地固まる」体験談を載せました。
  商談が喧嘩まで発展し双方の絆が壊される可能性が高いので決して良いことではない。しかし、当時、きっと中国の近代化に貢献したいと、コマツ製品の中国での国産化を提案した安崎先生の善意と燃えるような熱意が充分に伝わったので、コマツと中国側との絆を壊すことなく、逆に深めた良い喧嘩でした。
  ところで、その善意と熱意はどこから生まれ、燃えそうになったのか?この新書で探ってみたら、「子供時代から抱いていた中国への興味」という章節に辿り着いた。著者の同意を頂いて少しピックアップして掲載しましょう。
—————-

祖父の漢詩が、中国へ誘った

by 土屋康太郎-11 years old- Mr. Anzaki's  grandson

by 土屋康太郎-11 years old-Mr. Anzaki’s grandson

  私の中国への関心の扉を開いてくれたのは、母方の祖父だった。この祖父は、四国徳島の藩主だった蜂須賀家の末裔で、名を蜂須賀喜信といい、明治、大正時代の陸軍軍人であった。軍人であったが、剛直というより、むしろ文人の風格があり、書、画をよくした。彼の娘である我が母も、年を取ってからよく絵を描いていた。本書の挿絵を描いた土屋康太郎は私の11歳の孫で、現在小学校6年生。本人は、ごく普通の子供だが、絵の才能はあり、日本でも、また一時居住していたアメリカの小学校でも、この才能は評価されていた。私には、祖父の才能は遺伝していないので、孫の一人が、祖父の血筋を受け継いだようだ。
  この祖父が、私が中学生のころ、よく漢詩や論語の一節を読み聞かせてくれていた。内容をはっきり理解したわけではなかったが、杜甫、李白、白楽天などの詩は耳に心地よく響いていたことを記憶している。子供心にも訴えかける「何か」があったのだと思う。
  その次は、三国志である。吉川英治が易しく書いた『三国志』ではなく、難易度の高い『三国志演義』の翻訳書を読んだ。中学生にはとても難しかったが、知り合いの本屋で立ち読みを繰り返した。次第に内容に惹かれ、毎日の本屋通いを続けた。ついには、本屋の主人が、「この椅子に座りなさい」と言ってくれるほど、この物語に興味を持った。  この後、やはり翻訳書ではあるが、社会人になった後も、多くの作家の『三国志』を読み漁った。諸葛孔明のすごさにも惹かれたが、曹操が一番好きな登場人物だった…

———————-

  上篇博文里,分享了年轻时安崎先生与中国官僚之间“不打不相交”的体验之谈。
  谈判发展到吵架绝对不是件好事,因极有可能让双方关系破裂。然而,当时一定是安崎先生让中方充分感受到他期望对中国近代化建设做出贡献而提出小松产品在中国国产化建议的善意以及近乎燃点的热情,使得小松与中方的关系不仅没被破坏,而是加深了,可说是一场良性的吵架。
  不过,如此善意和热情是如何产生、又是如何高涨近乎沸点的呢?求问这本新书,在“萌芽于孩提时代的中国情结”这一章里我似乎找到了其源头。获得作者同意,摘选一部分内容,分享如下。

——————–

外祖父的汉诗,诱发了我对中国的兴趣

  最初启发我、使我开始对中国产生兴趣的是外祖父。外祖父是四国德岛蜂須贺藩的后裔,名叫蜂須贺喜信,是跨明治、大正时代的陆军军人。他虽身为军人,然而与其说刚强,不如说更具有文人之风格,喜欢书画、舞文弄墨。他的女儿既我的母亲,上了年纪后也经常作画。本书里插图的作者土屋康太郎是我11岁的孙子,现在是小学6年级学生。他是一个普通的孩子,却有绘画天赋,不仅在日本、而且在曾经生活过的美国的小学都获得了好评。看来,外祖父的才能没有遗传给我,却隔代遗传给了我的一个孙子。
  我这位外祖父,在我中学时代,经常让我听他阅读汉诗和论语。我虽然并不太明白内容,然而杜甫、李白、白乐天的诗还是听得津津有味。我想,诗句里或许有一种能拨动儿童心灵的神奇力量吧。
  接着我还读了三国志。读的不是吉川英治改编的三国演义,而是难易度比较高的三国演义的翻译版。对于中学生来说,这书读起来难度极大,不过我经常去熟人的书店站着反复阅读。渐渐地被书的内容吸引,竟然每天必去阅读。兴趣越来越大,对我见惯不惯的书店主人也不由招呼我:“坐这把椅子”。 这以后,在进入社会后,我也不停地收罗出自于许多作家笔下的各种各样三国志翻译版本读了个遍。虽然诸葛亮的非凡让我叹服不已,然而在所有登场人物之中,我最喜欢的却是曹操……

1杯100万ドルのウォッカ商談~手をたたいて快哉!

1杯100万ドルのウォッカ商談~無謀な真似をせずに…

中国語の翻訳者として、安崎会長の中国語の本を「三国」にたとえるなら、すでに中国で出版された「聚变」がかたい経済経営理論的な内容が多くて「三国志」だと言えて、これから中国で出版予定の「播种梦想」(仮称)が面白い部分がかなり増えたので「三国演義」だと言いたい。特に手をたたいて快哉を叫んだ内容がありました⇒「1杯100万ドルのウォッカ商談」。著者の許可をいただいて、シェアしましょう。ただし、ご注意頂きたいのが、コマツが旧蘇連でCATと壮絶な戦いを経て、売り手市場を作り上げたことが背景でしょうから、無謀な真似をせずに・・・

———————
…ソ連での契約調印後は、おきまりのウォッカ・パーティだ。何度かウォッカを飲んでいる内にわかってきたのは、私は6杯までは正気を保てるが、7杯で意識不明になってしまうということだった。7杯飲んだときは、必ずひっくり返ってしまい、ベッドの上で朝を迎える結末になる。服は着たまま、靴も履いたままという格好だ。party
 飲めないウォッカを無理して飲むうちに、体調を崩した。このままの生活をしていると、身体を悪くするか、仕事を辞めるかの選択となってしまう。ある日、無理矢理飲ませようとする商談相手に、「もう飲めない。これ以上飲ませるなら、次からの商談では1杯100万ドルの値上げをするぞ」と脅かした。相手も酔っているので、「OK、OK。いいから飲め」としつこく強要した。仕方がないので、無理をして飲み、いつも通りひっくり返ることになった。
 次の商談で価格を合意した後、「ところで、前回のウォッカ代を足してもらおう。あと100万ドル払え」と大人気なく、しかし断固として100万ドルの上乗せ交渉をした。当然、相手は拒否する。しかし、私も引き下がらない。2日粘って、結局100万ドル追加での契約調印に成功した。
 この100万ドルが、私のものになるわけではなく、当然会社の売上高となるのだが、当時の日ソ貿易担当で、こんなことをした日本人はいないだろう。その後、相手も私には「飲め、飲め」の無理強いはしなくなった。まさに100万ドルの威力だ…

1杯让谈判增值100万美元的伏特加~请勿盲目模仿…

作为中文译者,如果用三国来比喻安崎会长的中文书,那么已经在中国出版的《聚变》因其较难啃的经济经营理论方面的内容较多可喻之为《三国志》,而今后预计在中国出版的《播种梦想》(假定书名)里妙趣横生的内容大大增多,因此我想将它喻称为《三国演義》。里面有一段特别让我拍手称快的内容⇒《1杯让谈判增值100万美元的伏特加》。获得著者许可,分享如下。不过需要注意的是,安崎会长当时敢于如此行事是因为小松在苏联经过了与卡特彼勒之间你死我活竞争之后,打造出了卖方市场吧,因此谨防盲目模仿。

————-
…与苏联方签订契約之后,按照惯例举行了伏特加酒宴会。喝过几次伏特加后,我已经清楚自己的酒量,通常喝到6杯还能保持清醒,而喝到第7杯就会意识不清,喝完第7杯的结果必定是穿着衣服、鞋子就翻倒了,躺在床上直到第二天早上才能清醒过来。
 喝不了伏特加,却勉强喝,以至于喝坏了身体。如此下去,总有一天我将不得不面临喝垮身体还是辞掉工作的两难抉择。有一天,我威胁向我强行劝酒的商谈对手说:“不能再喝了。你如果硬要我继续喝,下一次商谈时提价,1杯算100万美元”。对方也已经醉了,继续不罢休地强行向我劝酒:“OK、OK。喝吧”。没办法,我只好勉强喝下,与通常情况一样,喝翻了。
 下一次商谈中双方就价格达成合意后,我像犯了孩子脾气似地、却毅然决然地向对方交涉加价100万美元:“话说,上次的伏特加费用加上吧。你得付100万美元”。当然,对方拒绝了,但是我却也不依不饶、绝不相让。你来我往斗了2天,结果是我成功地让对方加上100万美元、签订了契约。
 这100万美元当然不是进入了我的腰包、而是计入公司的销售额里。当时的日苏贸易担当里,除了我应该没有第二个人干过这样的事情。那之后,商谈对手再也不对我强行劝酒了,100万美元之巨大威力真是不容小觑…

コマツ第8代社長は神様のご任命? ~ 笑えたお話

Click to read Chinese—点击阅读中文版

本研究会安崎暁会長がご友人と共著した「日本型ハイブリッド経営」の中の安崎会長執筆部分の中国語アップグレード版「聚变」が8月に上海で出版されました。

 
本書の編訳途中、安崎会長のコマツへの入社のきっかけを明らかにする必要が出てきたので、メールでご確認しました。 当初、大変感動的なお話しを期待したのですが、ご回答を読みながら、感動と言うどころか面白くて噴き出しました。一言で言えば神様の仕業だというしかありません。

ご回答をそのまま下に貼り付けましょう。

------

コマツ入社はまったくの偶然で特に努力などはしませんでした。
高度成長期直前の当時、トヨタ、ホンダ、ソニー、コマツなどは現在のような大企業ではなく、それほど人気のある就職先ではなかった。学生の就活も今ほど大変ではなかった。
面白そうな会社を探してみるかという程度の軽い気持ちでした。 どんな業種が将来の日中経済関係で伸びるかという関心は持っていましたが、それらの中からコマツにしたのは全くの偶然です。入社が決まったその日は、大手町ビルの先輩を尋ねる用があり、用事が終わった後廊下で数名の同級生に会いました。話を聞くと当時本社が大手町ビルにあったコマツの入社試験面接にこれから行くのだ、昼飯つきだ、おまえも来ないかと誘われました。誰の紹介もコネもなしです。腹も減っていたので有難いとついて行ったら、面倒もなく昼飯を御馳走してくれて、食後すぐ面接となりました。日本経済の将来についての議論を面接官として、帰宅したら、夕方会社から採用内定の電報が来て10月の正式入社試験(ペーパー・テスト)を受けろとありました。
何かの偶然、運というめぐりあわせでコマツに入社が決まり会社の売上高が50年間に200億円から2兆円の成長を遂げる仕事に携わることができました。多くの先輩、同僚、後輩社員の共同努力でコマツが中国のみならずグローバルに発展する成長期に私も一員として 参加できたのは幸運でした。

------

笑えましたか?神様、もっと多くの方々へお恵みを!

—–For Chinese readers below—–以下中文阅读—–

小松第8代社长是上天的任命? ~ 让人发笑的故事


本研究会安崎晓会长与友人的共著「日本型ハイブリッド経営」一书中安崎会长执笔部分的中文升级版「聚变」于8月在上海出版了。

在本书的编译过程中,有必要弄清安崎会长进入小松的契机,于是我发了邮件去确认。 曾期待着听一个很动人的故事,然而读着会长的回复,别说感动了,倒是觉得有趣而忍不住发笑。一句话,只能说那是上天的旨意。

下面就将会长的回复原封不变地贴上。

———-

进入小松,纯属偶然,我并没为此付出过什么特别的努力。
在高度成长前的当时,丰田,本田,索尼,小松等都还未成为现在的大企业,在求职者看来也不那么人气。学生的求职活动也不如今天这么艰难。
当时我也就是有点随便找找有意思公司的心情。虽然关心什么行业会随日中关系的改善而发展,但是决定进入小松纯属偶然。记得决定进入小松那天,我有事去大手町大楼见一位前辈,办完事后在走廊里碰上几位同班同学。与他们交谈得知,他们是去当时小松本社所在的大手町大楼参加面试,并说还提供午餐呢,一起去吧。没有谁的介绍,没有任何人际关系。正巧我肚子也饿了,就和他们一起去,顺便吃了午饭后接受了面试。面试内容是和面接官就日本经济的将来进行了讨论,回家后的傍晚就接到小松公司采用内定的电报,电报通知我参加10月份的入社正式考试(笔试)。
进入小松可以说是个偶然,机缘凑巧的事情,之后让我有幸在50年间,在小松从年销售额200亿日元增至2兆日元的成长过程中有所建树。小松在包括中国的全球化成长期里,我和众多前辈,同僚以及后辈员工共同努力,作为其中一员参与建设小松的工作,真是一大幸事。

———-

您笑了吗? 上天啊,请赐予更多凡人以恩惠吧!

日本語版に戻る—Return to Japanese version—点击返回日语版

6月28日 日中民間交流誌「和華」が三国豪傑大会開催~80名近くご来場

Click to read Chinese—点击阅读中文版

6月28日13時半~17時、日中民間交流雑誌「和華」は「時代・国境を越える三国志」をテーマとする交流会を開催し本研究会安崎暁会長が基調講演講師及びパネリストとして出席しました。meeting6meeting5meeting1

 当日80名近くの参加者で会場が大いに盛り上がりました。

 講師及びパネリスト陣営:

安崎暁(小松製作所元CEO 藍綬褒章旭日重光章受章者)

加藤徹(明治大学教授、中国研究家)

上永哲矢(歴史コラムニスト)

パネリスト兼パネルリスト司会:満田剛(中国・三国時代の史学研究者)

交流会司会(和華副編集長兼デザイナー)と孫秀蓮編集長の短い挨拶後、12種類もの版の三国志を読んだ安崎会長は基調講演を行いました。歴史のロマン、古代中国の英雄豪傑・主役脇役からの人間模様、魏蜀呉それぞれ世代交代の様子から見る三国志人気の秘密、中国の訪問先での三国志談義、現代に生きる三国志等々を20分ぐらい語りました。

meeting2

その後のパネルディスカッションで若いとき劉備玄徳が好きだったが、経営者になってから役に立ちそうな敵でも友にして果敢に重用した曹操がより好きになったそうです。王道か覇道かなどについて語りなした。

京劇を歌えるほど中国語達者の加藤先生は日本語中国語混じりの三国語りは大変人気でした。meeting3

和服姿の上永先生は三国志と武士道に共通するものがあるそうです。

満田先生は、大目的の為には目先のことに触れないという知恵の発言で大きな拍手を誘いました。

質疑応答時間に、中国人参加者から質問が続出して、日本人のパネリストが回答する面白くて楽しい場面になりました。meeting4

本文の筆者は、質問できるレベルではないつもりですが、今回の三国志テーマ交流会準備に向けて日本と中国製作の三国ドラマを見たりしました。大変不思議なことに、三国志に出てくる人物がみんな好きで、例え悪役でも嫌いになったり恨んだりするようになれないのです。良く考えてみると、古今、三国志を書いた方々も人間だから好き嫌いがない訳がないが、いろんな人物を書く際、なるべく第三者としての公正心を失わないように努力したのではないか。自分の偏見や思いこみを抑えて、書かれる人物の立場に立ってまたはその人物の魂へインタービューしながら書いたのかもしれません。彼らは三国志の創作を通じて、世の中へ恨みではなく、仁儀道徳の種をどんどん撒いたのです。これは、日本人でも中国人でも一緒に三国志を楽しんだり深く交流できる理由のひとつじゃないかでしょうか。

また、私は日本製のアニメ三国志主題歌の「風姿花伝」(作曲&作詞&歌手:谷村新司)のリズムや歌詞そしての歌声に二日酔い以上、酔われ魅了されました。山河をも呑み込むほどの気概がない歌ですが、なぜこんなに魅了されているでしょうか自分でも不思議です。悲哀に溢れながらも元気をつけられるのは不思議なところです。“国は破れて城も破れて草は枯れても風は泣き渡る…”、三国の豪傑達の魂や仁儀道徳が泣き渡る風に入り込んで、この“風”は現代にも生きて、そして未来へ、国境なく泣き渡るでしょう。

  「風姿花伝」を聞く

 

—–For Chinese readers below—–以下中文阅读—–

6月28日 日中民间交流杂志「和华」举办三国豪杰大会~近80名中日友人到会

6月28日13点半~17点,日中民间交流杂志「和华」举办以「超越时代・过境的三国志」为主题的交流会,本研究会安崎晓会長作为基调演讲讲师以及论坛成员出席了交流会。 当日近

80名参加者到会,会场气氛暖流涌动。

讲师以及论坛成员阵营:

安崎 晓(小松制作所元CEO 藍綬褒章・旭日重光章受章者)

加藤 徹(明治大学教授、中国研究家)

论坛成员兼论坛主持:満田 剛(中国・三国時代的史学研究者)上永 哲矢(历史专栏作家)

在交流会陈主持(和华副总编辑长兼设计)以及孙秀莲编辑长简短的发言后,由读过12个版本三国志的安崎会長发表了20分钟左右的基调讲演。他从历史性的浪漫,古代的英雄豪杰・主角配角了解到的人间模样、魏蜀吴三国更新换代状况讲述了三国志长盛不衰的秘密,还谈及访问中国时与中国人谈论三国志的经历,至今活力不减的三国志等等。

在之后的讨论会上安崎会长说他年轻时喜欢刘备玄德,成为经营者后更加喜欢能对自己有用的敌人也笼络过来并赋予重任的曹操。另外还谈及了王道和霸道。

能唱京剧的中文流畅的加藤先生参杂中文的三国发言大受听众欢迎。

着和服的上永先生谈到了三国志和武士道的共通点。

満田先生说,为顾全大局应具备不触及眼前纷争小事的智慧,赢得热烈的掌声。

在问答时间里,中国人参加者连连发问,日本人论坛成员忙于回答,迎来愉快而妙趣横生的场面。

本文笔者自觉关于三国志并没到达提问的水平,不过在此次三国志主题交流会准备工作中忙中偷闲看了一些日本和中国摄制的三国剧。非常不可思议的是,三国志的人物都让人喜欢,即使是恶人形象也讨厌或者仇恨不起来。细细想来,古今三国志的著者也是人,不可能没有喜好,不过他们在塑造各个人物时,估计为保持第三者的公正心而尽了最大的努力。或许他们是抑制着自己的偏见和主观性的想当然,站在那个人物的立场上,或者一边与那个人物的灵魂对话一边写作的吧。他们通过延续性地创作三国志,向世人撒播的不是仇恨,而是仁义道德的种子。我想,这何尝不是日本人和中国人能欢聚一堂,共议三国志并加深交流的理由之一呢?

另外,我听了日本摄制的动画三国志主题歌「风姿花传」(作曲&作词&歌手:谷村新司),完全陶醉于其韵律,歌词以及歌声,难以自拔。陶醉于这首并非气吞山河的歌,让我自己也觉得不可思议。不可思议之处在于听着悲哀横溢的歌词,我没有沉沦反而被充满了元气。“国已破,城也破,草枯了,风儿哭着吹过…”(“国は破れて城も破れて草は枯れても風は泣き渡る…”),这么悲哀的歌词为何听着不会冷血却会热血呢,我想也许是因为三国豪杰们的魂魄以及仁义道德都汇聚到这哭泣的风儿中,让这“风儿”一直吹到今天,并将一直吹向未来,没有国境。

  点击欣赏「风姿花传」

日本語版に戻る—Return to Japanese version—点击返回日语版

企業の真の競争相手は同業他社ではなく、世の中の変化だ(続き)

Click to read Chinese—点击阅读中文版

前文の続き---ロシアダイアモンド鉱山に行ったの後の話です。

1980年ごろのシベリアの空の旅は不便だった。10月の寒くなりかけたころ、日本からモスクワに行き、イルクーツク経由ヤクートに行った。雪が降ると天候次第で時間の予定が定まらない。イルクーツク空港で仮眠かと覚悟したら、すぐ出発だと案内の人に言われ、飛行機に乗りかえた。後で聞かされた話では、我々外人客を乗せるため、ロシア人の客を強制的に降ろしたらしい。申し訳なかったが、遠慮しているといつ乗れるか分からない。

ダイヤモンド鉱山は、朝日新聞の写真に出た如く巨大。ゲストハウスのまわりは堀がほられ、上げ下げできる橋がかかっていた。外国人が自由に出入りできない仕掛けとなっていたのだ。技術者は朝宿舎をバスで出て、夕方宿舎に帰る単純な毎日を半年過ごした。娯楽施設は何もなく、土日たまにロシア語の映画館に連れていくだけ。私が到着したら、滞在中の技術者が口々にひどいところだ、と泣き出さぬばかり。

早速相手の鉱山のお役人たちとの会談に入る、テーブルにダイヤの原石を数個出して、これが大型ダンプ1台に2個も入っていれば、オンノジだという。有難うとポケットにしまったら、怖い顔をした別の係官が飛んできた。返せというから、妻へのお土産を別に買わなくてはならないと笑って返した。係官はあげたのではなくサンプルとして遠来の客に見せてあげたのだと真面目な顔で説明する。翌日作業現場を調査する時、身体検査後、先方の作業服と長靴に着かえさせられた時にいわれた。”貴方は冗談が好きらしいが、現場でしゃがんでは絶対にだめですよ、ライフルで射殺されますから”と。監視員が見張りの塔に立ちライフルで狙っている。流石にダイヤを拾えなかった。

最後の交渉で感心したのは、決着ぎりぎりの最後に出てきた鉱山長の人物人柄。テキパキと問題点の協議に応ずる。いずれ本省に戻り出世の階段を上がっていくのだと周りの人が一目置いている。世界最大級のダイヤ鉱山長だからこの人は後に本当に偉くなった。

ノメンクラツーラというロシア語があるが、前途有望な若い官僚を難しい仕事をこなさせて、次のポストに進ませる人事教育の仕組み。中国の共青団の大幹部育成の人事コースとか、日本の昔の大蔵省のエリ-トが地方の税務署長として修業したようなものかと思った。

今になって顧みれば人は出張旅行を通じて、いろんな人とコミュニケーションを取りいろんなことを経験することによりグローバルな視野がだんだんと身についてくる。そして世の中の変化~この”企業の真の競争相手”と上手く付き合えるようになる。これこそ旅の大きな醍醐味の一つと言えよう。

—–For Chinese readers below—–以下中文阅读—–

接着上次,说说我到俄国钻石矿山后的事情。

1980年前后的西伯利亚的空路还不怎么畅通,在正转寒的10月,我们坐上从日本飞往莫斯科方向的航班,经由伊尔库茨克抵达雅库特。途中遇雪天航班停飞,复航全凭天气状况。我们在伊尔库茨克正想小睡片刻,却接到马上出发的通知而登上了飞机。之后听说为了让我们外国人登机,好像强行拉下了俄国客人。虽然觉得抱歉,不过倘若谦让的话就难说什么时候才能登机了。

钻石矿山正如我在朝日新闻上见到的照片展示的那么巨大。招待所周围挖了沟壑并架着便于上下的桥梁。其构造让外国人难以自由出入。技术人员们乘坐公交车早出晚归,过了半年单调枯燥的日子。没有娱乐设施,唯一的乐趣是周末偶尔会有人来带着他们去看场俄语电影。我到了后,面对的是连连诉苦的哭丧着脸的技术员工们。

我与矿山有关负责人之间的会谈很快开始了,对方掏出几个金刚石放在桌上说要是一台大型翻斗车能进2个就值了。我说了声谢谢就把金刚石装入口袋,顿时另一位脸色吓人的担当冲了出来要我交还,我一边笑说得另外给太太买礼物一边把金刚石还给了他。那人一脸严肃地解释这不是送给你的,而是作为样品给远方来的客人看的。第二天在调查施工现场时,接受体检后换上了他们提供的工作服和长靴并被告知:“你好像喜欢开玩笑,不过在现场可不能蹲着,会被步枪打死的”。岗哨塔里站着荷枪实弹的监视员,那确实不是能捡钻石的氛围。

在最后的交涉工作中,在达成协议的最后阶段出场的矿山长的人品让我尤其敬佩。这位矿山长对相关问题的协议工作进行得干脆利落,周围的人都对他另眼相看,认为他有天必会回到原来的单位并获取高升。事实上,这位世界最大规模钻石矿山长后来确实得以高升,成了了不起的大人物。

俄国有所谓的要职人员登用制度,那便是安排年轻有望的官员去艰苦的环境中积累工作经验,为以后的提升而实施的人事教育制度。我觉得这个制度与中国共青团以培育大干部为目的的人事课程以及从前日本财政部派遣精英们担任地方税务署长的修业制度有异曲同工之妙。

回顾这些往事,我认为在出差或者旅行中通过与各类人物的交流以及对各种事物的体验都能对人们全球化视野的形成发挥潜移默化的积极作用。进而让我们能与世界的变化~这个”企业真正的竞争对手”和平共处。这可说是旅行的一大妙趣之一吧。

日本語版に戻る—Return to Japanese version—点击返回日语版