世界標準への対応~技術標準(続き)-応対世界標準~技術標準(続)

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こんにちは、ブログをご応援の皆様、ありがとう。今日は技術標準の続きです。

(2) 技術標準(続き)

20世紀後半、グローバル化への布石はイスラム世界、アフリカを残し整ってきたので、1998年、技術陣にコマツグループの技術の本質を再確認してもらい、チャレンジの方向を次の通りと定めた。
 1.顧客のQCD(品質、コスト、納期)を向上する技術
 2.技術の潮流を予見し先取りする技術
 3.技術の方向と重点を定めて継続的な研究開発を行う
 4.世界中のパートナーとネットワークで連携する技術
 5.技術と技能を磨き技術者一人ひとりの夢を実現する

何をやるか、何をやらないかの原則をグループ全体で再確認してもらった。技術開発が納期やコストに追われ日常ビジネス化すると、進歩・革新に向かわなくなる。極楽とんぼの自由気ままな研究をやり過ぎるとビジネスとしての厳しさがなくなる。個々の技術者の実力が勿論鍵となるが、世界の技術陣のベクトルを合わせるためのリーダーシップが重要さが増している。

更に技術標準には世界との共存の視点が必要、ISOなど標準策定協議の過程に参画して安全、環境など技術面から世界に貢献することだ。欧州は国の数が多いので国益を主張するだけでは世界の技術標準策定には参画できない。日ごろの付き合い個人的信頼関係がものをいうのは、オリンピックを自国に誘致する活動に似ている。

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大家好!谢谢各位对我博文的支持。今天继续“技术标准”这个话题。

(2) 技术标准(续)

20世纪后期,除了伊斯兰教世界和非洲,小松的全球化布局已是井然有序,因此在1998年,我令技术部门重新确认小松集团的技术本质,并制定了下列挑战方向。
  1.能提升顾客QCD(品质,成本,限期)的相关技术的开发
  2.致力于能预见技术的发展潮流,并能引领技术潮流的相关技术的开发
  3.决定技术的方向和重点并进行持续性的研究开发
  4.确保小松遍及全球的合作企业以及联网据点之间的义务得以紧密协作的相关技术的开发
  5.为技术者创造条件,使他们人人都有机会磨练自己的技术和技能,并实现自己的梦想

集团全体一起针对要作什么和不做什么的原则实施了再确认。倘若把技术开发也弄成被限期和成本所困的日常商业化,那么进步・革新事业则难以前行。然而过于悠闲,毫无规则束缚地搞研究,又会使研究事业难成。技术者的个人实力固然重要,然而能让小松的技术阵营与世界技术阵营的向量保持一致的领导能力也愈显其重要性。

进而,就技术标准的认知而言,还需具备与世界共存的远大目光,参与ISO等标准协议的策划制定工作,在环境等技术方面贡献于世界。欧洲国家众多,假如各国都偏重于主张本国的利益,则会让他国无法参与世界标准的策定工作。这和人与人之间维系日常交往,个人间的信赖关系不可或缺,以及各国争取奥运会在本国的举办权活动都具有相似之处。

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世界標準への対応~技術標準-応対世界標準~技術標準

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こんにちは、ブログをご応援の皆様、ありがとう。今日は前回の「(1)情報システム」に続き技術標準について述べます。

(2)技術標準

コマツの創業は1921年、中国共産党創設と同じころだ。創業者竹内明太郎(吉田 茂 元総理大臣の兄)は、当時の日本の鉱山事業王だった。彼の経営する石川県小松市の鉱山機械の修理工場からコマツが生まれた。創業に当たっての事業方針は次のようなものだったと伝えられている。
1. 他の同業者が製作することを欲しないもの、製作困難でわが国には未だ経験のないものを製作する。
2. 他の同業者よりも良いものを安く作る。
3. 先進工業国の新知識の導入に努め、国家を益する有意義な仕事をする。
4. 一日も早く、現在の輸入機械の国産化に努める。
5. 真の国産化とは、独創の製品を海外に輸出することにある。インドや中国の上海まで進出してきた欧米製品と競争して初めて独立国としての製品国産化が実現する。

彼は、今日の言葉でいえば、グローバル化と技術革新を推進し、そのために高級技術者を採用、欧米に留学派遣した。一方、製品の品質確保のための生産技術にも意を用い、製造技術者の教育にも熱心だった。
この創業時のDNAを引き継ぎ、1960年代世界一位のCAT社の日本進出に対抗したコマツは河合良成社長の陣頭指揮によるマルAと称するプロジェクトを開始した。品質を全てに優先し、時にコストを無視し、JIS規格を無視して商品を作り上げる。トランプのエースを意味するこのマルA対策は耐久性でCAT社に負けない製品を完成させた。
1960年代初頭、私のコマツ入社当時、CAT社が相手では、コマツもおしまいかと世の中で噂されたが、このピンチを社長のリーダーシップと社員の頑張りで乗り切った。1998年技術陣の指導者にこれらを受け継ぐグローバル時代の技術標準を考えて貰った。(続く)
     
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大家好!谢谢各位对我博文的支持。继前文「(1)信息系统」,今天想谈谈“技术标准”。

(2)技术标准

小松创业于1921年,刚好与中国共产党创设于同一个时期。创业者竹内明太郎(原总理大臣吉田 茂的兄长)是当时日本的矿山事业主。小松就诞生于他经营的石川县小松市的矿山机械修理工厂。他在创业之际制定了如下的事业方针:
1. 制造同行其他企业不愿制造,或因难于制造而国内还没有制造经验的产品。
2. 生产比同行其他企业更好更便宜的产品。
3. 积极引进先进国家的新知识,拓展于国有利的事业。
4. 尽快实现机械的国产化,改变从海外输入机械的现状。
5. 生产出独特的产品并成功输出海外,实现真正的国产化。只有我们的产品能与立足于印度和中国市场的欧美产品相抗衡,才意味着日本作为独立之国,实现了真正的产品国产化。

用今天的话来说,他努力推进全球化和技术革新,并为此采用高级技术人才,派往欧美留学。另外,为确保产品品质,他还致力于生产技术的提高,并在技术者的教育工作上倾注心血。
这种诞生于创业期的经营DNA一直传承了下来,到机械行业世界第一的卡特彼勒公司(CAT)进出日本的1960年代,小松在河合良成社长的统率下启动了被命名为红桃A的项目,以图与卡特彼勒抗衡。当时公司把提高产品质量摆放在第一位,为此在制造产品方面,有时甚至不惜成本并无视日本工业规格(JIS)。小松这个由扑克牌的Ace而得名的红桃A对策取得了巨大成功,生产出了不逊色于CAT公司的耐用产品。在我进入公司的1960年初,世间曾传闻小松与巨头CAT公司竞争,怕是不久就要完蛋了。然而在社长出色的领导以及员工们的努力下,小松终于逃过了这一大劫。
1998年,我让技术部门的干部们继承这些宝贵的经营传统以及经验,并将之活用于思考全球化时代的技术标准工作之中。(续)
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