私の信条-苦進楽愼

 引き続き、昨年9月に中国で出版された安崎会長の著作「夢を蒔く」(中国語版は、中国側出版社の主張により「机械巨人小松 无所畏惧的信念」という書名となっています)の内容をピックアップして掲載いたします。

 今日は「苦進楽愼」という部分になります。これは、去年12月11日開催された感謝の会の入場券として参加者へ配布された『感謝』と題された手紙に載せてあります—「私の好きなことば」として、・・・『苦進楽慎 苦しい時はとにかく前進あるのみ。調子の良い時は浮かれずに用心しろ』・・・

苦進楽愼—苦しい時はとにかく前進あるのみ。調子の良い時は浮かれずに用心しろ

 両親の事を書いておこう。父親は、四国徳島の出身。幼少期に両親を病気で亡くし、父の姉と兄弟は大変苦労したという。それでも父は旧制中学校3年から、学費がいらない特待生となり、4年になるときに、これまた学費のいらない陸軍士官学校に入り、帝国軍人として勤務した。日中戦争に従軍し、終戦時に捕虜収容所に入れられ、終戦後しばらくして復員した。
 このころの日本では、一定以上の階級だった職業軍人は、連合軍の公職追放令に引っかかり定職に就くことができなかった。だから、私の少年時代の我が家は、貧乏そのものだったが、父親の口癖は、「金は天下の回りもの」。実にあっけらかんとしたものだった。
 母親は、四国阿波の徳島藩主の系統で、祖父、蜂須賀喜信の次女として生まれた。縁あって父と結婚した。昔であればお姫様に近い境遇だったであろうが、父の出征後に4人の子供を抱え、空襲を避け、疎開などの苦労の連続。父の復員後も、貧乏暮らしだったが、それを苦にする様子は見せなかった。子供の私から見ても、蜂須賀の家名を全くひけらかせず、父親第一の良妻賢母であった。私の幼少期には、父親の記憶はあまりないが、母親は、父親不在の戦時中でも、子育てが大変だったろうが、口には出さず、愛情深く、とても優しい母親だった。叱られた記憶は一切ない。
 父親は、公職追放令が解除された後、警察予備隊、保安隊、自衛隊と勤務。陸将になり、東北方面総監を最後に除隊した。現役のころ、陽明学者で思想家の、安岡正篤の会合に出かけ、彼の指導を受けていたようだった。私は社会人となってから、父の話で記憶していた安岡の名前を思い出し、彼の著書を何冊か読んだ。彼の論のすべてに感心したわけではないが、『百朝集』という本に「六然」という文を見つけた。
 中国の明時代末期の崔後渠という、王陽明と同時代を生きた学者で気節の人の言である
「自處超然 處人藹然 有事斬然 無事澄然 得意澹然 失意泰然」……自分に関しては、世俗にとらわれないようにすべし、人に対するときは、相手を喜ばせ気持ちよくさせるべし、何かをやるときは、すぐにやるべし、何もないときは、澄んだ気持ちを保つべし、得意なときでも、静かで安らかな気持ちを保つべし、失意の時でも、泰然自若と構えるべし。
という六つの「然」を並べ、「これができたら真の自由人である」と述べているのが気に入った。
 コマツの役員になったころ、この「六然」を思い出したが、なかなかこのようには過ごせない。それでも、あるべき理想の処世として、時に口ずさんでいたものだ。コマツのグローバル化を陣頭指揮するとき、これに似た「苦進楽愼」という言葉をどこかで見つけた。「困難には、とにかく前に進め、調子のよいときには、浮かれずに用心して慎重を期せ」という程度に理解した。普通はこの逆の行動をしやすいものだ。
 ピンチに動ぜず、バブルに浮かれずということを諭す「苦進楽愼」は、「自處超然 處人藹然」同様に、会社経営の節目、節目に私を鍛えてくれた言葉だ。

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继续摘选分享去年9月在中国出版的安崎会长的著作《夢を蒔く》(中文版由于中国出版方的主张书名由《播种梦想》改为:《机械巨人小松 无所畏惧的信念》)里的内容。
今日分享“苦进乐慎”部分。这也在去年12月11日作为感謝会入场卷发给参加者的题为“感謝”的信笺上也有记载—我喜欢的话・・・”苦进乐慎“ 在艰苦的时候只需顶风奋力前行,在风调雨顺之时反而要谨慎行事。不因苦境而停滞,不因顺利而飘然”・・・

苦进乐慎—不因苦境而停滞,不因顺利而飘然

想写写父母的事情。父亲出身于四国的徳島,幼小时候父母就因病故去了,父亲的姐姐以及兄弟都历尽了生活的艰辛。在那样的境遇中,父亲竟然也从旧制中学3年级时成为了免除学费的特待生、4年级时进入了至那时为止不需要缴纳学費的陆军士官学校,从而走上了帝国军人之路。后来日中战争爆发被征从军,战争结束后进了俘虏收容所,后来复了员。
 这个时期的日本,一定级别以上的职业军人遭遇了盟军发布的解除公职令、找不到固定的工作。所以,在我的少年时代,我们家极为贫困,然而父亲却有个口头禅:贫富无常,风水轮流转,金钱在天下人之间来来往往。
母亲出自四国阿波德岛藩主一族,是我的外祖父蜂须贺喜信的次女,随缘与我的父亲结了婚。在往昔,我母亲的生活如同公主般尊荣,然而在父亲出征后带着4个孩子、在躲避空袭、辗转疏散的颠沛流离的生活之中,接二连三地遭遇了各种各样的艰难险阻。父亲复员后的日子也极为贫困,但是母亲却从没有表现出被贫困击倒的样子。连还是孩子的我都能看出,母亲丝毫不曾炫耀自己蜂须贺家族的姓氏,是一位以父亲为天、以服务家庭为己任的贤妻良母。我的童年时代,几乎没有关于父亲的记忆,都是在父亲不在的战争时期,有关母亲的记忆。她为了养育孩子而历尽艰辛,但是却从不叫苦,对孩子倾注了深厚的母爱,是一位亲切平和的母亲,从来不曾呵斥我。
父亲的解除公职令获得取消后,先后供职于警察预备队、保安队、自卫队。之后升为陆将,最后升至东北方向总监,直到退役。父亲在现役时代,似乎曾参加阳明学者、思想家安冈正篤的会合,受过他的教诲。我成人进入社会之后,想起父亲话里说过安冈这个名字,便读了他的几本著作。虽然我并没有感服于他所有的理论,然而在《百朝集》一书中发现的“六然”却引起了我的共鸣。
那是中国明代末期的崔后渠,一位与王阳明同一时代的有气节的学者之言“自处超然 处人蔼然 有事斩然 无事澄然 得意淡然 失意泰然”……对待自己要超然达观,不要拘泥于世俗。对待他人,要和蔼可亲,令人愉快。做什么事情时,不要拖泥带水,要当机立断付诸于行动。无事的时候要保持清澈宁静的心态。得意的时候,要保持安静安宁的心态。失意的时候,要坦然自若。列出这样六个含有“然”的词语,他感叹“要是都做到了,就会成为一个真正的自由人”,这句话深深地打动了我。
在成为小松董事的时候,我想起了如此“六然”,然而生活中要做到这些可就太不容易了。但是,我将其作为理想的处世之术,时不时想起来就会哼唧念叨几遍。在引领小松走向全球化的时候,我又发现了与其类似的“苦进乐慎”这个词。我如此理解:“困难的时候,不管三七二十一,要奋力前行,一帆风顺的时候,则要加以小心,不要得意忘形,要谨小慎微。”。一般来说,若是老天把逆境或者顺境摆到我们面前,我们要反其道而行之。
“苦进乐慎”一词如此告诫我们,不要为眼前的危机而动摇,也不要因为胜利而充昏了头脑,它与“自处超然 处人蔼然”同样,让我得益匪浅,锤炼了我,让我在公司经营历程中跨越了一个又一个转折关头。

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百年小松、若さ健在—序章~「夢を蒔く」から

 9月に中国で出版された安崎会長の著作「夢を蒔く」(中国語版は、中国側出版社の主張により「机械巨人小松 无所畏惧的信念」という書名となっています)の内容を抜粋してきました。
 主に、正文から中国にかかわるコンテンツを数回ピックアップしてきましたが、内容がばらばらになってしまっているので、先々週から少し体系的にできるのかと考えながら、ページをめぐるとまえがきや序章にに辿り「これです!」と思いました。
 そして、先々週掲載したまえがきの続きとして序章を掲載しましょう。

百年小松、若さ健在

 もうすぐ2021年がくる。中国はおそらくこの年に中国共産党創設100周年を盛大に祝うであろう。
 コマツは日本で、また世界中の拠点で小松製作所創立100周年を祝賀する。2021年にはどのような発展を遂げているであろうか。
 この不思議な縁は、私自身についても言えることだ。私がコマツに入社した理由の一つが、中国関連の仕事に就きたいとの思いだった。私は、大学生活を6年間送ったが、第一外国語の英語以外に、第二外国語を選択する必要があった。多くの学生が、ドイツ語、フランス語、スペイン語などを選択する中、私は中国語を選んだ。子供の頃、祖父に漢詩を習ったこと、三国志、水滸伝などのおもしろさに惹かれていたことが選択理由の一つだった。中国語の授業は、先生2人に学生6人という小さなクラスだったが、家族的な雰囲気の中で楽しく学ぶことができた。「今は中国とは国交がないけれど、そのうちに中国と密接な関係になる」という先生の言葉もあり、勉強には熱が入った。
 就職の時期が迫り、「コマツは機械メーカーだから、中国とビジネスをする機会がある」という期待が、入社の動機でもあった。入社後の夢は「北京事務所長になること」と勝手に描いていた。この夢は果たされることなく、夢で終わったが、その後、私の会社生活の節目、節目で私は、中国とのビジネスに関わることになった。
 1972年9月に日中国交が回復した。翌年私は、当時の社長であった河合良一さんに、「中国にブルドーザ工場を作りましょう」と提言した。その後、何度も中国を訪れ、交渉を繰り返し、コマツと中国人技術者たちとの技術交流を重ねていった。
 そして、私が社長になった1995年には、中国に「小松常林建機公司」「小松山推建機公司」「小松常林鋳造公司」を設立、翌年には「小松(上海)有限公司」を設立、中国内での生産・販売拠点を増やしていった。
 コマツの海外進出の基本思想は、「現地での経営は、現地の人に任せ、日本人はそのサポートに徹する」ということである。そして、他の諸外国で行ったのと同様に、中国の拠点でも中国人に経営トップを任せたが、彼らは見事に大きな成果を挙げた。
 中国での経営は「コマツウェイ」という、全世界のコマツ経営の根幹をなす理念に基づいてはいるが、中国という国の特性にふさわしい方法で実践している。だからこそ、経営は現地トップに任せるのである。しかし、「よいモノをつくる」という、コマツの遺伝子だけは、どこの国であっても変えることはない。あくまでも、日本発の技術の種を各地に蒔き、それぞれの国で大きな花を咲かせようと努力を続けるのである。
 本書では明治維新後の日本の近代化の活動の中から、コマツの原点とものづくりに賭けた遺伝子を探り、第二次世界大戦後の復興を下敷きとし、その後に続くグローバル化の動きを、私自身が経験した事をベースにしながら、ものづくりとは何か? ビジネスとは何か? 会社とは何か? 世界はこれからどうなるか? どうあるべきか? などに対する私なりの答え出していこうと思う。この答えが正解かどうかはわからないが、読者の皆さんが、これらのことを考えるヒントにはなるであろう。
 さらに、私がこだわりを持ち続けてきた中国との関係に関しても、体験をベースにお伝えしていきたい。私は、極端な嫌中派でもないし、親中派でもない。中国という大国の可能性と現実の姿をできるだけ冷静に見つめ、日本と隣国である中国の相互理解に、私のできる範囲でのお手伝いをしたいと考えている。この考えは、コマツの社長在任中も、引退後の今も変わりがない。
 現在私は、日中交流和華会の会長として、日中草の根交流のサポートをしている。日本と中国に共通する文化、それぞれの国で花開いている素晴らしい文化を、お互いの国民が知ることで、両国の距離はもっと近いものになるだろう。そのような考えで、政府間の関係とは別の、民間レベルでの相互理解を深めることが、両国の未来にとってとても重要なことではないだろうか。
 長年企業経営に携わってきた私ができるのは、現在中国で企業を経営している人たち、そして、将来そのような仕事に就きたいと考えている人たちに、私の数々の経験から学んだことを、率直にお伝えすることだと考えている。

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 本博连续几次摘选分享了9月在中国出版的安崎会长的著作《夢を蒔く》(中文版由于中国出版方的主张书名由《播种梦想》改为:《机械巨人小松 无所畏惧的信念》)里的内容。
 摘选内容主要是与中国有关的部分,不过觉得有点杂乱,所以上上周一边考虑怎么理顺一边翻书,当翻到前言以及序章时猛然感觉“就是这里了!”。
 因此,今天继上上周发表的“前言”,接下来分享“序章”部分的内容。

百年小松,依旧年轻

 2021年,小松将在日本、也将在全世界的各个据点庆贺小松制作所创立100周年。2021年的小松会发展成什么样呢?我将翘首以待。
 人生之中,不可思议的缘分时而会不期而至,我的自身经历也足以证明了这一点。我进入小松的理由之一是出于希望从事与中国相关的工作这个念头。在我6年的大学生活里,除了第一外语英文,还需要选择第二门外语,许多同学都选了德语、法语、西班牙语等,而我却选了中文。在我儿时,与外祖父学习汉诗、三国志、水浒传等,这些文化深深引发了我的兴趣,成了我选修中文的理由之一。中文课由老师2人和学生6人组成,班虽小却充满家庭似的氛围,让我得以愉快地学习。记得一位老师如此说:“现在日本虽和中国没有外交关系,但是不久与中国的关系一定会紧密起来”,他的话大大激发了我的学习热情。
 就职的时期来临了,“小松是机械厂家,会有与中国做生意的机会”,这个期望成了我进入小松的动机。刚刚进入公司的时候,我有个梦想,就是天马行空地暗自想象着自己“成为北京事务所长”的前景。虽然这个梦想未能成真,以梦开始以梦结束,但是之后我在职业生涯之中却迎来了一个又一个转折点,终于开始从事与中国有关的事业。
 1972年9月,日中恢复了外交关系。第二年我向当时的河合良一总经理提出了“在中国建造推土机工厂”的建议。之后我多次访问中国、反复进行交涉工作、持续着小松与中方技术人员之间的技术交流工作。
 再往后,我于1995年就任总经理后,在中国设立了小松常林建机公司、小松山推建机公司、小松常林铸造公司,第二年又设立了小松(上海)有限公司,逐步增加了中国国内的生产以及销售据点。
 小松在进入海外之际的基本思想为:现地经营交与现地人员、日本人只负责业务支援。因此,和在其他各国的做法同样,我们在中国据点也任用中国人为经营上层干部,他们也不负厚望,努力工作、奋发图强、取得了极大的成果。
 中国的经营,也是建立在小松模式这个支撑起全球小松经营大厦的基本理念之上。不过在中国,却是采用了符合这个国家特殊国情的合适方法而得以实现。正因如此,中国的经营工作是全权放手交给当地选用的高层干部。然而,只有“制造优良产品”这个小松的遗传基因,无论在哪个国家也不会任其变异。归根结底,小松将日本的优良技术之种子撒播到世界各地,为了它们在被播下的国度里开花结果而坚持不懈地努力着。
 本书旨在从明治维新之后日本的近代化历程之中,探索萌芽于小松起点既产品制造活动之中的遗传基因,并以第二次世界大战结束后的复兴为铺垫,以我自己的亲身经历为素材,对随之而来的全球化动向进行解读。何为产品制造?何为商业?公司是什么?世界今后将何去何从、应该是什么样子?我将针对这些问题,力图给出我的回答。我的回答是否正确虽然不胜明了,但是想来对于同样会面对这些问题的读者而言,应该有所启示。
 此外,本书还将以我的自身经验为基础,阐述我常年以来尤为关注的中日关系。我关注中国这个大国的可能性及其现实状态、并愿为日本和邻国中国的相互理解做一些力所能及的工作。在我就任小松总经理期间以及在我引退后的今天,这个想法都没有丝毫动摇和改变。
 现在的我,作为日中交流和华会的会长,推行着一些日中草根交流工作。通过加深两国国民对日中共通文化以及两国多彩多姿异文化的理解,应该能够对缩短两国之间的距离做出一点贡献。基于这个想法,我姑且撇开两国政府之间关系这个难题,身体力行地致力于深化民间层次的相互理解这项对于两国的未来至关重要的工作。
 长年从事企业经营的我,愿向现在的中国企业经营者、以及希望将来也从事企业经营工作的读者们直抒胸臆,讲诉我从工作经验中所学之物。衷心希望对读者诸君能有些许参考价值。

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まえがき~「夢を蒔く」から

 9月に中国で出版された安崎会長の著作「夢を蒔く」(中国語版は、中国側出版社の主張により「机械巨人小松 无所畏惧的信念」という書名となっています)の内容を抜粋してきました。
 主に、正文から中国にかかわるコンテンツを数回ピックアップしてきましたが、内容がばらばらになってしまっているので、少し体系的にできるのかと考えながら、ページをめぐるとまえがきや序章にに辿り「これです!」と思いました。
 そして、今日は、途中から一旦最初に戻り、まずまえがきを掲載しましょう。

まえがき

 本書は中国における私の二冊目の出版である。2014年に上梓した第一冊目の本が取り持つ縁があって、2016年秋、寧波の健峰管理技術研修中心(VMTA)で私が講演した後に、第二冊目の本書出版の話が持ち上がった。中国の民間企業経営者、経営管理者を読者と想定し本書を書き上げたが、編集、翻訳、調整の仕事を手伝ってくださった協力者のおかげでこのほど上梓の運びとなった。関眞次さん、高暁慶さん、孫秀蓮さんのご協力に心から感謝します。挿絵を描いてくれた11歳の孫の土屋康太郎にも感謝したい。皆さん有難うございました。
「江碧鳥逾白 山青花欲然 今春看又過 何日是帰年」――これは、杜甫の詩である。本書中に記した如く、私の中国への関心は祖父に教わったこのような唐詩から始まった。大学入学後の1955年、第二外国語として中国語を選択した。今から60年以前の日本人大学生としては、極めて少数派の珍しい選択であった。
 将来中国と関わりの多くなりそうな会社に入りたいと希望していた。偶然の結果であるが、1961年小松製作所に入社した。仕事では、国内外の顧客を駆け巡り70か国、数百回の出張を繰り返した。途中で管理部門の仕事も経験したが、幸運も手伝い1995年に小松製作所第八代の社長となった。20世紀、1960年ごろにはまだ小さかった日本の「小松」は21世紀にはグローバル大企業へと発展した。
 こうして、「日本の小松」は「世界のKOMATSU」となったのだ。だが現在も「世界のKOMATSU」、そして「日本の小松」であることに変わりはない。現役の社長の時代、グローバル化が進行する中で、小松はグローバル企業として、無国籍化するのか、単に多国籍化するだけなのか、日本国籍を持ち続けるのか?コマツのアイデンティティを何に求めるのか? コマツという会社は何者なのか?
 かなりの期間、この難問に対する答えを色々な角度から考え続けていた。市場、投資家、顧客、世界中の従業員、協力工場、ディーラー、メデイアはどう見るか? 次の時代につながるのか? コーポレート・ガバナンスの視点からも、会社のアイデンティティは明確でなければならない。
 たどり着いたのが、「品質と信頼性」という言葉。商品とサービスの品質と信頼性は自明のこと。事業そのもの。経営、役員・従業員、すべての「品質と信頼性」を高める会社であり続けるという気持ちを込めて社内外に発信した。「日本の小松」だからこそ、「世界のKOMATSU」たり得るのだという答えだった。
 学者ではなく、実戦派の経営者として過ごしてきた私には、現代の経営者に教えられることは何もない。時代も違い、経済環境も大きく変化し続けている。だが、グローバル化の歴史を民間企業の視点で眺めれば、日本企業の歴史を、中国の現在の民間企業が参考にするヒントがあるだろう。
 本書に書いた私の余生三等分主義の第一部門、「世のため人のため」の活動の大半を日中関係、それも日中民間草の根交流に割いているのは、以上のような中国に対する私の思い入れからだ。教えることはできないが、20世紀末から21世紀にかけての日本企業の成功と失敗の実際を率直に語れば、発展段階に共通点のある今の中国民間企業の経営者、経営管理者になにがしかのヒントが与えられるはずだと思うことができた。私が身をもって体験し遭遇したグローバル大競争の実態、私の50年に亘る中国との関係、特に中国経済の公平な観測者の視点も本書の記述のどこかに反映される。
 当然のことながら、私は中国だけで仕事をしたのではない。出張回数が多いのは、日本の地方、アメリカ、ロシア、その次が中国だ。中国の北京、上海だけでなく、辺境の各省、観光地にも足を延ばした。出張回数はアジア諸国、欧州諸国が中国の次で中南米、アフリカ、中近東は多くない。世界を見る視点で中国を見る、日中関係を両国だけの関係で見るのではなく、日米、日ロ、日本とアジア諸国との関係を考えるのと同様に多面的に見るのが私のやり方だ。
 経済学で学んだ“Cool Head、Warm Heart”、つまり、強い関心を持ちながら、冷静に考えるというのと同様だ。本書の読者たちと中華料理、日本料理を食べながら、中国や日本で会話が弾む機会が持てれば望外の幸せである。
 尚、言うまでもないが、本書の内容はすべて、安崎暁個人の考えであり他の人、小松という会社の考えではない。古いことを思い出しながら書いたので正確な事実、記録と異なる点があるかもしれない。事実との相違、記憶の間違いは、80歳という高齢に免じてご容赦願いたい。

                                     安崎 暁
                                    2017年1月

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 本博连续几次摘选分享了9月在中国出版的安崎会长的著作《夢を蒔く》(中文版由于中国出版方的主张书名由《播种梦想》改为:《机械巨人小松 无所畏惧的信念》)里的内容。
 摘选内容主要是与中国有关的部分,不过觉得有点杂乱,一边考虑怎么理顺一边翻书,当翻到前言以及序章时猛然感觉“就是这里了!”。
 因此,今天从途中且回到本书的开头,先分享“前言”部分的内容。

前言

 本书是我在中国出版的第二本书。在2014年第一本书出版后,2016年的秋天我应邀赶赴宁波的健峰管理技术研修中心(VMTA)演讲之后,关于第二本书出版的话题便被提了出来。这本书是为假想中的读者、即中国的民间企业经营者、经营管理者而写就,承蒙编辑、翻译、以及各位协作者的配合,本书才得以出版。在此对关真次先生、高晓庆女士、孙秀莲女士以及为本书制作插图的我11岁的孙子土屋康太郎的协助表示衷心的感谢。谢谢大家。
 “江碧鸟逾白,山青花欲燃。今春看又过,何日是归年。” 这是杜甫的诗。正如本书中记载的那样,我对中国的兴趣,是在向外祖父学习唐诗的时候就开始萌发了。在大学入学后的1955年,我选择了中文为第二外语。作为距今60年以前的日本大学生,做出这个选择实属罕见。
 当时我希望将来进入一家有可能与中国产生密切关系的公司。就结果而言,纯属一个偶然的机会,我于1961年进入了小松制作所工作,自此便马不停蹄地奔忙于国内外客户之间,出差多达数百次,到过70个国家。中途也曾被调到管理部门工作,受老天眷顾,在1995年成为小松制作所第八代总经理。可喜的是,20世纪1960年前后规模尚小的日本的“小松”,到21世纪已经成长壮大成了一家全球化规模的大型企业。
 如此,“日本的小松”已经成为了“世界的KOMATSU”。但是,即使是到了现今,“世界的KOMATSU”,也依旧还是“日本的小松”,这一点并没有发生变化。我在担任总经理、在经济全球化发展的时代就开始思考,小松是作为全球企业无国籍化呢?还是多国籍化?或者继续保持日本国籍?如何为小松的身份定位?小松应该是一家什么样的公司?
 我花费了相当长的时间,站在各种各样的角度思索着对这个难题的回答。市场、投资家、顾客、遍及全世界的员工、合作工厂、经销商、媒体又是如何看的?怎样才能实现小松的持续性发展、将其传承给下一代?从公司治理的视点来看,也必须为公司的身份明确定位。
 最后我得出的回答,一言概之,是“品质与信赖性”。商品和服务的品质与信赖性,一目了然,即是事业本身。而我认为这远远不够,我还希望小松能成为一家坚持不懈地致力于提高经营者、董事和员工在内所有元素的“质量与信赖性”的公司,抱着这样的期望,我向公司內外发出声音,给出了我的回答:小松,正因为是“日本的小松”,才能成其为“世界的KOMATSU”。
 并非作为学者,而是作为实战派经营者的我,才疏学浅、没有什么能够教授给现代经营者的东西。因为时代既不同,经济环境也不断地发生着变化。但是,站在置身于全球化历史长河之中民间企业的角度来看,日本企业的历史,对于现在的中国民间企业,其参考价值成许还能发挥一定的启示作用。
关于在本书中我的余生三等分主义的第一部分记载的“为世界、为他人”的活动,其大部分之所以都与日中关系、与日中民间草根交流有关,就是源于上述的我的中国情节。虽然我没有什么东西可以传授给现在的中国民间企业的经营者、经营管理者,然而我想,通过真实地讲诉从20世纪末到21世紀的日本企业的成功及失败的实例,或许能够为他们提供点什么有用的启示、帮助他们应对在发展阶段面临的共同课题。在本书的不同章节里,我记下了我亲身经历过的全球大竞争的实际状况、我与中国长达50年的关系,特别是作为一位公平观察者对于中国经济的的看法。
 当然,我的工作并不是只限于中国。按照出差次数的多少排列,是日本各地、美国、俄罗斯,其后是中国。不仅去了中国北京、上海,足迹还曾踏及边境各省、以及旅游观光胜地。出差次数次于中国的是亚洲各国、欧洲各国,中南美、非洲、中近东则相对较少。得益于这些经验,我养成了站在全球立场看中国、看日中关系不仅仅局限于从两国的角度,而是如同看日美、日俄、日本与亚洲各国关系那样,从多种角度去看的方式方法。正如我学到的经济学知识“Cool Heads,Warm Hearts”所言,在看问题做事情时,我们不仅要具备强烈的关心,还需要具备冷静的头脑,期待将来某一天能与本书的读者一边愉快地品尝着中华料理、日本料理,一边热烈地进行交流。如果有这样的机会,于我是一份意外的荣幸。
 另外,不用赘述,本书的内容都是安崎晓个人的观点,并非小松公司的观点。因为是一边回忆往事一边写就,也许存有与事实、记录不同的地方。若发现与事实的不符之处以及记忆的错误,敬请谅解一位80岁的高龄人士。

                                      安崎 暁
                                      2017年1月
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トップは中国人に任せる~「夢を蒔く」からの抜粋

引き続き、安崎会長の著作「夢を蒔く」(中国語版は、中国側出版社の主張により「机械巨人小松 无所畏惧的信念」という書名となっています)のピックアップです。

本書の内容を2か3週間おきにピックアップします。著者は現役時代、中国だけではなく、全世界を舞台にしていたのですが、中国での出版なので、主に中国にかかわる章節の内容をピックアップして載せたいと思います。

トップは中国人に任せる

 コマツは世界各地で、グローバル化の先駆者として事業の展開をしてきた。さまざまな試行錯誤を経て、「現地の経営責任者は、現地の人に任せる」方が好業績につながることを確信した。この詳細は、拙書『日本型ハイブリッド経営――21世紀経営者の役割』(中央経済社刊、2010年発行、P.169~P.171)を引用することにする。

 「経営のローカル化に関しては私独自の命名だが、“鋸の刃理論”を信奉している。現地の代表を日本人とするか、ローカルの人にトップを任せるかという問題だ。
 日本の本社にいる人たちからすれば、日本人に代表になってもらった方が仕事をするうえでやりやすい。本社のいうことにも忠実だし、仕事も手馴れている。問題は数年の任期で交代を繰り返さざるを得ぬことだ。本人がその気なら長期間外国の任地に留まるという選択もありそうだ。コマツの例でも28年アメリカの駐在を続け現地の評判も良く業績を上げた人がいた。これは例外で普通は数年の勤務を経て帰国、後任がまた日本から来る。長期間外地勤務で本人の才能を生かしきれぬ懸念もある。この駐在員や代表を日本人が交代で務めるという仕組みはその地のお客やローカル社員の評判が良くない。せっかく慣れたところでもう帰るのか、教育の甲斐がない。次の人をまた一から仕込むのか。鋸の刃のように上がってはまた下がる。確かに刃が上がる角度はローカルの人に比べ優秀な日本人であればあるほど大きい。だが交代すれば、上がった刃が下がり、元の木阿弥。何年たっても一定の上昇しか期待できない。これに反し、ローカルの適任者が見つかれば、刃の上がる角度は小さいが、勤務が続けば交代で下がることがない。5年でくらべれば、負けるが、10年の比較では、業績もお客の評価もこちらが上。鋸の刃状でなく滑り台を下から上がる形となる。このほか優秀な現地ローカル社員は、日本人の上役が繰り返し任命され自分のこれ以上の昇進がないと判断すれば逃げ出すのが普通。この噂が一般化した企業には優秀なローカル社員の応募が無くなるのが普通。これが私の“鋸の刃理論”。できる限り世界各地でトップに現地ローカル社員を任命することを心がけてきた。saw blade theory
 もちろん、本人の資質や人事上の眼力の問題はある。人事の成功と失敗はいつも紙一重。いきなり高給でローカルトップを探してきても周囲の支持が集まらなければ、うまくいかない。No.2として採用し、実力、人望を観察し、短い期間にNo.1に昇格させる安全策が必要な時もある。多様性を認め、ローカル企業になりきり、現地の顧客、地域社会に支持されるには、現地トップはローカルの方が長期的に見れば好業績につながるというのが私の持論。ローカルトップに任せ、良い仕事をしてもらうには、任命権者たる経営トップの継続的支持、激励、監督は不可欠。これを怠ると、いつの間にか日本人の本社官僚にその地位を追われてしまうことが多い」。
 私が名づけた“鋸の刃理論”は、図を見ていただければ一目瞭然。だからこそ、ローカルトップに、現地での経営を任せているのである。
 2003年頃の中国の傘型統括会社「小松中国投資有限公司」の人員体制は図の通りである。「赤」で示したのは、現地化され中国人が就任しているポスト。「緑」は日本人が就いているポストである。これを見れば、主役は中国人、日本人は補佐する役目としている体制が、一目瞭然であろう。Staffing view

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 继续摘选安崎会长的著作《夢を蒔く》(中文版由于中国出版方的主张书名由《播种梦想》改为:《机械巨人小松 无所畏惧的信念》)内容。

 本博大约2或者3周一次,从这本新书里摘选、分享一些内容。
虽说著者的职业生涯舞台并非仅限于中国、而是整个世界,但是因本书即将在中国出版,因此着重摘选分享一些与中国有关的片段内容。

选任中国人为高层干部

 小松一直在世界各地,作为全球化的先锋展开事业。经过了各种各样的试验和失败,确切地认识到“选任现地人物担任现地的经营责任者”,对于取得良好业绩更为有利。关于这点的详细内容,在此引用拙著《日本式混合型经营 – 21世纪经营者的作用》 *日语书名:《日本型ハイブリッド经营――21世紀经营者の役割》(中央经济社出版、2010年发行、P.169~P.171)如下。

 “关于经营的本土化,我信奉我自己命名的“锯刃理论”。我用这个理论说明了是应该选用日本人为现地法人代表,还是选用现地人物为高层经营干部。
 站在日本总公司的立场看来,让日本人做当地法人代表比较好,因为觉得日本人更加忠实于总公司,对总公司言听计行,而且对工作内容也已熟悉和习惯。但是如此做的弊端在于,几年任期一到,就不得不更换人员并如此反复。当然若本人愿意选择在外国长期任职的话,这个弊端可以得到解决。小松就有一例,某人常驻美国28年,赢得当地的好评并创下了良好的业绩。不过这只是个例外而已,通常是干几年就回国,从日本再派其后任。从人事的角度考虑,让员工长期在国外任职,有个忧虑,即是本人的才干难以得到最大限度的施展。再说,当地法人代表之类的驻外人员,采用派遣日本人轮换的方式还有一个弊端,那就是通常难以得到当地顾客以及员工的好评。好不容易熟悉了当地文化却要回去,教育白费一场,下一个人还得从头开始,就像锯齿似的上上下下,当地员工的水平不能维持在一个稳定的高度。倘如派去的日本人比当地人员优秀的话,锯齿会上升到一个较大的角度,但是一进行人员轮换,上升的锯齿就回落,白下功夫,如此这般无论经过多少年也难以期待当地员工水平的上升。与此相比,若能在本地找到合适人选,锯齿上升的角度虽然小,但是随着其持续任职,则不会发生由人员轮换引起的回落。用5年来比较虽有可能弊大于利,但以10年左右长期来看,无论从业绩还是客户的评价方面都将利大于弊,呈现出的不会是锯齿状,而是由下往上的滑板形状。此外,通常而言,优秀的当地员工眼见日本人上司反复不停地任命轮换,因此判断自己难有升职的机会,就会拍屁股走人。当关于一个企业的这类小道消息流传开来,通常就不会有优秀的当地员工应聘这家公司了。这就是我的“锯刃理论”,基于此理论,对于世界各地法人代表之类要职,我非常留意尽可能从当地员工中选拔任用。
 当然,本人的资质以及人事工作人员在选择人才方面的眼光高低也是个问题,分毫之差往往能决定人事工作的成败。企业用高待遇采纳当地人才,立马就地让其担任首脑一职,若得不到周围员工的支持,则会弄巧成拙,使工作难以顺利进行。因此,有必要采用某些安全策略,比如先任命采用的当地人选为上层2号人物,经过一段时间观察并确认其实力和声望后,再将其提升为头号人物。我的一贯主张是,长远看来,承认多样性、成为不折不扣的本土企业、获取当地顾客以及社会的支持以取得更好业绩,使用本地人员作为头号人物更佳。随后,为了让本地头号人物放开手脚、大刀阔斧地展开工作,来自于手握任命大权的经营管理层们的持续性支持、激励以及监督都必不可少,一旦懈怠,公司总部日本人的官僚主义无形中会危及本地头号人物的地位。”
 我命名的“锯刃理论”如图所示,内容一目了然。正是基于这个理论,我选任现地人物作为本土公司的高层干部,负责现地的经营工作。
 2003年前后,中国的控股公司“小松中国投资有限公司”的人员体制如图所示。红色表示的是选任中国人在本土化公司里就任的职位。绿色表示的是日本人就任的职位。从图示可以看出,主角是中国人、日本人为辅佐角色,这个体制一目了然。
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KOMTRAX—建機業界でIoT時代の先頭を走っているコマツの伝家の宝刀

KOMTRAX—建機業界でIoT時代の先頭を走っているコマツの伝家の宝刀

近年、IoT(Internet of Things)という言葉が熱い!
ネットで探してみると、言葉として生まれたのが1990年代だというのもあり、もっと前だという説もあります。
IoTの活用事例も意外に多く見つかりました。夢のような話だと思われた事が、次から次へと現実になってきています。
5年後の世界はどうなっているのでしょう?楽しみですね。

さて、安崎先生の新しい本にも、安崎先生がコマツ社長だった1998年に販売開始の「KOMTRAX」というIoT活用事例を詳しく書かれています。中国を含み世界で大活躍しているその姿がとっても素敵だとして、安崎先生の同意をいただき、この部分をピックアップすることになりました。

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 グローバル化に引き続き、IT技術が日進月歩し、ビジネスのみならず、一般の生活そのものを大きく変える時代を目前にしている、IoTの時代、AIの時代だ。コマツは、稼働機械の中にICチップを埋め込み、客先に販売した機械の稼働情報を客先よりも早くつかめる「KOMTRAX」というシステム導入により、建機業界ではIoT時代の先頭を走っているが、今後遠くない未来には、人間の衣服、靴、装身具、さらには皮膚、内臓、脳などにもチップを埋め込むようになるかもしれない。また、AIロボットも進化を遂げ、想像もできないIoTの時代が到来するだろう。ロボット社長が、人間社長よりよい業績を挙げるかもしれない。このような時代が来るにはどのくらいの年月がかかるだろうか。100年ぐらい必要だろうか。

 1980年代、中国の建機市場がまだ育っていないころ、私は、販売後のアフターサービスを充実させることに関心があった。建設機械は、厳しい条件下で稼働させることが多いので、修理などのアフターサービスが不可欠だからである。購入先の機械進出口総公司には、「機械納入後のサービスをやりたい」と申し出ていた。当時は政情の関係もあり、サービス員を現地に送り込むことはできなかった。しかし、大きな事故、故障が発生したときのみ、サービス員の受け入れが認められる状況だった。
 公司の担当者は、「中国の国土は広大だ。わずかばかりのサービス員を派遣してくれても、砂に水をまくようなものだ」と、私の申し入れを取り合わなかった。
 建設機械は故障するものである。だから定期的な点検、修理サービスは世界共通の課題だ。今はサービス員の派遣を拒否されているが、いずれ中国でも建設機械の修理サービスのニーズは高まると確信していた。

 ICT(Information and Communication Technology=情報通信技術)の進歩が、建設機械のアフターサービスに革命をもたらした。建設機械にチップを埋め込み、GPS、移動通信、Internet、パソコン、携帯電話をネットワークして、管理センターで総合的に情報管理するシステムを作り上げた。これが、KOMTRAXという名の管理システムだ。元々は、客先の車両機械のサービス用に、コマツの技術者が開発したものだ。遠く離れた場所にある機械と、管理センターを結んだ情報追跡システムである。エンジン、油圧システムの稼働情報、燃料消費などの情報をオンラインで入手するために考案したものだ。このアイデアは、IoTの走りともいえるものだったが、狙っていたビジネスモデル特許は取得できなかった。しかし、この分野で先行したコマツは、次のような3点の特徴を武器に、競争を優位に進めることができるようになった。
KOMATSU COMTRAX
・第一の優位性:故障情報などを即時にオンラインで取得することができる。
 客先の稼働現場にある機械一台ごとの故障情報などの詳細が瞬時に把握できる。小さな故障の場合は、客先に修理箇所、修理方法を教えられる。大故障の場合には、直ちにコマツのサービスネットワークが稼働する。故障内容があらかじめ判明しているので、修理に必要な部品や工具を持ってサービス員が訪問し、迅速に修理することができる。機械の休止時間をできるだけ短くしたいという、客先の要求を満たすことができる。

・第二の優位性:客先の稼働情報をオンラインで把握することができる。
 管理センターで、今日何時間稼働したか、毎日の燃料消費量、燃費を把握できる。機械が稼働現場を移動したという位置情報もすぐにわかる。不自然な遠距離移動があった場合には、機械の盗難ではないかと客先に連絡する。中国全土で稼働している機械の、毎日の稼働情報を把握できるというのは、素晴らしいビッグ・データである。今月と前月のデータを比較すれば、景気が上向きなのか下向きなのかの情報が、毎日オンラインで手に入る。これを注意深く観察すれば、「景気が好調を持続しているので、増産して在庫を厚めに持とう」「稼働時間の減少が続いているので、在庫を絞ろう」という経営上の決定が容易に行える。また、燃料消費情報は、売り込む際のセールスポイントとして使える。

・第三の優位性:代金回収が楽になった。
 これは、中国で効果的だったもので、いわば副産物といえるものだ。建設機械は高価なものだから。頭金を30%もらい、残りは割賦販売契約により、2年とか3年の間、毎月いくらかを分割して回収するのが普通だ。ところが、毎月の割賦代金を回収するのが、意外に大変なことであった。お金があるのに払わない客先もいる。代金支払いを催告しても払わない。再三の催告でも支払がないときには、機械を引き揚げることもある。それほどではない場合に登場するのがKOMTRAXならではの機能だ。遠隔操作でエンジンを停止させることが可能なのだ。契約時にこのことを明示して、客先の了解をもらって販売している。支払い遅延の客先には、催告を繰り返すが、それでも支払わないときには伝家の宝刀を抜き、エンジンを停止させて機械の稼働を止める。機械を稼働させたい客先は、エンジンが止まったと文句を言ってくる。このとき代理店は、「お客さん、今月の割賦代金が未払いですね。支払っていただければ、エンジンはすぐに動きます」と答える。どうしても機械を動かしたい客先は、即座に支払うことになる。そうすると遠隔操作でエンジン停止を解除させ、機械を稼働させられるようにするのである。お金があっても。代金をなかなか支払わない客先に対する代金回収には、大きな効果を発揮した。思わぬ副産物であった…

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康查士(KOMTRAX)—物联网时代建机业界领军企业小松的传家宝刀

近年,物联网(IoT-Internet of Things)变成了一个热词!
我在网上搜了一下,有说这词诞生于1990年代、也有诞生得更早的说法。
另外,在网上还发现物联网概念的活用事例出乎意料地多。以前听似梦话一般的事情,一个一个都在变成现实。
5年之后的世界会是什么样呢?拭目以待。

话说安崎先生也在新书里,详细地记载了他在小松总经理任期内的物联网活用事例-1998年开始销售的康查士(KOMTRAX)系统。康查士(KOMTRAX)系统,在包含中国的世界各地英姿飒爽、大显神通,现征得安崎先生的同意,将这一部分内容分享如下。

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1980年代,中国的建设机械市场还没有成长起来的时候,我就认识到充实产品售后服务的重要性。因为建设机械多是在严酷的条件下运转,所以修理等售后服务不可或缺。我向购入方的机械进出口总公司提出了“希望开展机械配送之后的服务工作”的意愿。然而,因为受到当时政治状况的制约,派遣服务人员到现地的提议没有能够实现,不过发生了比较大的事故、故障之时,可以获准派遣服务人员赶赴现地。
 公司的担当者觉得我的提议不可行,他说:“中国国土辽阔。仅仅派几个服务人员去,只不过像是在沙漠里洒点水一样,无济于事”。
 建设机械难免发生故障,因此提供定期检查、修理服务是一个世界共通性的课题。所以我当时相信,虽然现在派遣服务人员被拒,但是将来有一天在中国,建设机械的修理服务需求一定会增长。

 ICT(Information and Communication Technology=信息通信技术)的进步,引发了建设机械售后服务的变革。小松开发了新的管理系统,就是将芯片装入建设机械里、实现GPS、移动通信、因特网、电脑、手提电话的网络化、由管理中心进行综合性信息管理。这个管理系统被命名为KOMTRAX(康查士)。最初的目的本来是为客户提供车辆机械服务,由小松的技术人员开发出来。此系统的作用是将远距离的机械与管理中心联网,进行信息追踪。也就是说,设计生产它的原意是打算用来在线获取发动机、液压系统的运转以及燃油消耗信息。可以说,这个创意基于物联网思维,然而遗憾的是,期望的商业模式专利没有能够取得。但是值得庆幸的是,在这个分野先行一步的小松,具备了下述3个特征并以此为武器,也可以说是拥有了3个竞争优势,赢取了更多的发展机会。

・第一优势:能够立即在线获取机械故障等信息。
能够在一瞬之间把握在客户现场运转的每一台机械的故障等详细信息。如果是小故障,小松的处理方法是向客户说明应该修理的部位以及修理方法。而遇上大故障,小松的服务网络则立即启动。由于系统已经事先判明了故障内容,所以服务人员能够带着修理所需的零部件以及工具、赶赴现场迅速进行修理。这样便能将机械的暂停运转时间尽力缩短,满足客先的需求。

・第二优势:能够在线把握客户的经营管理状况信息。
 管理中心能够掌握客户方当天的机械运转时间、每天的燃料消耗量、燃料效率之类的信息。机械在运转现场一旦移动,其位置信息也能立即掌握。所以小松若发现了不同寻常的远距离移动,便会联系客户,确认是否发生了机械被盗的事故。能够掌握在中国各地运转机械的每日运转信息,可以说获取的是极具参考价值的大数据。每天都可以在线取得信息,并且通过比较这个月与上个月的数据,观察景気的好坏。细致深入的观察,让经营决策也变得简易轻松,比如“景気持续不错,可以扩大生产、增加库存”,“运转时间持续减少,该减少库存”。另外,在推销产品时,燃油消耗信息也能作为一个卖点加以利用。

・第三优势:贷款的回收变得简单易行。
 在中国产生的这个效果,可以说是个副产品。建设机械价格昂贵,因此小松通常是收取30%销售额为首付,剩下的销售额签订分期付款销售契约,在2年或者3年之内,每个月收取约定的分期支付款项。然而,每月收取分期支付款超乎寻常地艰难。有的客户有钱也不支付,被小松催促也不支付。对于再三催促也不支付的客户,机械有可能被回收。发展到此地步之前登场的机械便是KOMTRAX,小松能用它的远距离操作功能,停止拖欠费用客户方机械发动机的运转。小松在签约时会向客户明示这个功能,让买方知情的情况下出售产品。对于拖欠款项、反复催促也不支付的客户,小松便会拔出这把传家宝刀、使发动机停止工作、机械停止运行。如此一来,希望运转机械的客户,便会向小松抱怨发动机停止工作了。而代理店则会回答:“您公司还拖欠着这个月的分期付款额啊。只要您家支付,发动机立马就恢复工作”。无论如何也想让机械运转的客户,马上就会付钱。然后,小松也立马进行远距离操作以恢复发动机的工作。对于有钱却拖欠机械款项的客户,KOMTRAX在回收费用方面发挥了极大的效应。这个效应是一个出乎意料的副产品……

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