雨降って地固まる~中国との100日交渉

雨降って地固まる~中国との100日交渉

Meeting in China
先日、安崎会長の中国で出版予定の新書コンテンツからピックアップして掲載した「1杯100万ドルのウオッカ商談手をたたいて快哉!」は、若頃の安崎会長が一人前のコマツ人としてソ連での「雨降って地固まる」経験談でした。
経験談といえば、本書にほかにも「雨降って地固まる」経験談が数多くあり、今日は中国官僚との大喧嘩の部分をピックアップしましょう。この大喧嘩は、コマツが中国と仲良しになるための素晴らしい前奏曲だったと言って良いと思います。

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 …IISTの修学旅行で、アメリカ各地を巡った後、国務省高官から中国に関する話を聞き、米中の国交回復も近いなと予想していたので、ニクソン大統領(当時)訪中のニュースにも、日本のマスコミほどは驚かなかった。
 そして、1972年、日中の国交が回復され、1978年には日中平和友好条約が調印される。この当時は、同じ共産主義国家でありながら、ソ連と中国の仲はよくなかった。条約に覇権条項を「入れる、入れない」と論議が長引いた記憶がある。中国は、当時のフルシチョフ第一書記のソ連を「覇権主義」と批判をしていた。
 日中国交回復の年、田中首相と周恩来総理との会談で「迷惑」という言葉が問題となった。歓迎式典で周恩来総理が挨拶した後、田中首相は戦争責任に触れ、「過去数十年にわたって、わが国が中国国民に多大のご迷惑をおかけしたことについて、私は改めて深い反省の念を表明する」と詫びたが、この中の「迷惑をかけた」という表現が、「軽すぎる。そのようなひと言で片付けられることではない」と非難を浴びた。
 私はこのことを、日本工業倶楽部の会報(2015年4月号、第252号)に書いた。矢吹晋氏の『日中相互誤解の濫觴』という論文の一部を紹介したのである。矢吹氏の論文は言う。「田中角栄首相の挨拶の中で“迷惑をおかけした”は、中国語では、“添麻煩”。これは、婦人のスカートに水がかかる程度の意味で小さくて軽い、と周恩来首相との間で論争があった。何とか喧嘩を収めた後、毛沢東主席との会談で、田中首相は“日本の言葉は中国から入ったとはいえ、これは万感の思いを込めてお詫びする時にも使う誠心誠意の謝罪です”と説明した。毛沢東主席は“喧嘩をしてこそ初めて仲良くなれます。わかりました。迷惑の言葉の使い方はあなたの方が上手なようです”と、贈り物として『楚辞集註』6冊を渡したそうだ」という内容だ。

 私にも、中国のお役人との間に喧嘩の経験がある。コマツと中国の技術交流の結果を、技術提携契約としてまとめ、中国に小松ブルドーザを生産する工場を建設しよう、という話になったときのことである。コマツと技術進出口総公司との契約交渉は難航して100日を費やした。
 中国では文化大革命が終結し、改革開放の時代に入っていた。鄧小平の「鞱光養晦」政策の始まりである。外国からの技術導入も、案件によっては問題がなくなり、我々の交渉が本格的に進んだ。私は建機第三部長として、ソ連、中国を担当していた。この交渉の途中、谷牧副首相が枚方のブルドーザ工場視察で来日した。私は、大阪のホテルから工場まで、先導のパトカーの後をノンストップで走り、ご案内した。後で知ったことだが、谷牧北首相は、中国工業近代化のため、当時のめぼしい外国の工業技術の視察を指導していたとのことだった。コマツの大阪工場でも、真剣かつ熱心に視察し、積極的に質問をされていたことを記憶している。
 さて、コマツと中国の技術提携交渉は、外国貿易省傘下の技術進出口総公司がプラント建設、技術導入契約の窓口であった。交渉の場には、機械工業部の技術者が背後に控えていた。コマツは海外事業本部の弓野専務が団長、私が副団長で契約条文の交渉に当たっていた。100日という長い交渉の間、弓野専務は時々帰国した。専務が留守の間は私が団長役を務めた。
 中国側の契約書原案は既に印刷されており、「これにただサインするだけだ」と公司の担当者は言ったが、中国側に都合のよい一方的な条項が多く、とてもすべては受け入れがたい。そこで、条文ごとの交渉が開始された。このやり方は、対ソ連の契約でも経験済みであった。また、私は同様の契約にあたっていたアメリカ会社の担当役員と情報交換を行っていたので、譲れない条項は、丁寧に理由を説明して、粘り強く交渉を続けた。最大の問題は、提供技術の範囲と対価、指導料であった。
 あるとき、先方の担当者から「安崎さん。あなたは、たかがブルドーザの技術提供ぐらいで、中国側に高い金を払えと要求するが、唐の時代の遣唐使に漢字や仏教を教えた中国は、日本から料金などもらわずに、ただで教えてあげたのですよ」と真顔で言われた。私はびっくりして相手の顔をのぞき込んだが、相手はケロッとした顔ですましていた。
 契約はいよいよ最終段階に入った。ほぼ合意が成立し、明日は調印式の段取りを相談しようというところまで漕ぎつけた。ところが翌日、全く別の人が現れ、「今までの交渉を白紙に戻す。日本企業との契約で、このような契約条項は認められない。交渉はやり直しだ」と宣言した。背後を眺めると、先方の技術者たちは困った顔をしているだけで、誰も口を開こうとしない。私は、さすがに頭に血が上った。生涯最高の怒りがおそってきた。三国志にあった「馬上憤死」の場面が一瞬頭をよぎった。心臓が破裂するのではないかというくらい激しく鼓動した。顔は真っ赤になり、呼吸も一瞬止まりそうになった。
「あなたは、100日の間、我々が真剣に交渉してきた結果を、中国政府を代表して、全く無視するのですか? とんでもない話だ。これでは、我々は交渉を取りやめ日本に帰ることにします。中国の近代化に貢献したいと、国産化を提案した、我々の善意を踏みにじるような交渉のやり方をするなら、この話はここで終わりだ」と言い放ち、当方の同僚や、先方の技術者たちが驚いて止めるのを振り切り、怒りに震えた呼吸を整えてから、一人退出してしまった。その日は宿舎に戻り、帰国のための荷造りを始めた。
 翌朝、先方から連絡が入った。「皆さん、ご一緒に来てください」とのことだった。怒りがまだ収まらない私だったが、帰国の挨拶はすべきだと思い直して出かけて行ったが、昨日の担当者はいない。技術者組の団長から、「先に合意した内容で話がつきました。契約調印の準備をしましょう」と言われて安堵の胸をなで下ろした。
 河合社長に連絡を入れ、社長と弓野専務に契約調印のため訪中してもらうことを決め、その日取りを決めた。社長と弓野専務の訪中を待ち、調印が無事終了した。調印式後の宴会に先立ち、先方の技術者組団長の副局長に「安崎さん。東洋の君子は、あのように顔を真っ赤にして怒り狂ったように話すものではありませんよ」と諭された。私は何も言えず、ただうなずくしかなかった。後で聞いたら、私のあまりの剣幕に、中国側がびっくりして矛を収めたと言うことだった。
 政治家と違い、喧嘩の仕方が下手な私の、若気の至りの結末であった。

不打不相交~和中国的100天商务谈判

前些日子分享了安崎会长将在中国出版の新书摘选”1杯让谈判增值100万美元的伏特加~请勿盲目模仿”,是安崎会长年轻时作为一名小松人在苏联的一段“不打不相交”的经验之谈。
说到“不打不相交”,本书里另外还有不少经验之谈,今天就分享一段他与中国官僚之间的一场精彩大战。这场大战,可以说是一段促成了小松与中国相知相交的精彩的前奏曲。

…参加IIST修学旅行、遍访美国各地之后,从国务省高官关于中国的发言当中,我预感到中日恢复外交关系之日已经为时不远了,因此当我看到当时的尼克松总统访问中国的消息时,并没有像日本的媒体那么震惊。
 之后,1972年,中日恢复了外交关系,1978年两国签订了中日和平条约。当时,苏联和中国虽然同为共产主义国家,关系却已经产生了裂痕。记得双方围绕是否将霸权条款写入条约里产生了分歧,讨论因而被延长。中国批判当时的赫鲁晓夫第一书记领导的苏联实行“覇权主义”。
 在中日恢复外交关系那一年,田中首相与周恩来总理之间的会谈中,“迷惑”这个词成了一个问题。周恩来总理在欢迎仪式上致辞后,田中首相提及战争责任问题并进行了道歉:“在过去的数十年里,我国给中国国民添了极大的麻烦(麻烦的日语:迷惑),我对于此段历史,再次表示深切的反省之意”,然而,道歉发言里的“添了麻烦”这个表诉受到了中方的非难“那么轻描淡写的一句话不可能大事化了吧”。
 我曾在日本工业俱乐部的会报(2015年4月号、第252号)上写过这件事情,介绍了矢吹晋氏的题为《探寻日中相互不信任的原点》(日语书名:《日中相互誤解の濫觴》)的论文里的部分内容。矢引氏在论文里说:“田中角荣首相的讲话之中的“迷惑をおかけした”,这在中文里的意思是“添了麻煩”。听起来只不过像把水撒到了女人裙子上的程度,给人以轻描淡写的感觉,因此与周恩来总理之间产生了争论。双方争论终于平息下来之后,在与毛泽东主席的会谈之中,田中首相就这个日语词做了如此说明:“日本的语言虽然是来自于中国,然而,这个词也能用于百感交集道歉之时,用于诚心诚意谢罪之中”。毛泽东主席回答:“不打不相识,明白了。看来还是你们善于使用迷惑这个词”,并作为礼物,向田中首相赠送了一部《楚辞集注》6冊。

 我也有过与中国的官僚争吵的经验。那是小松与中国进行技术交流,已经做好了技术提携契约,正要达成协议在中国建设工厂以生产小松推土机的时候。关于这份契约,小松与中国技术进出口总公司之间的谈判工作进展不顺,所以整整花费了100天。
 文化大革命结束了,中国进入了改革开放的时代,邓小平的“韬光养晦”政策随之开始实施。如此一来,从外国引入技术方面的有些问题得以解决,我们的谈判工作也得到了实质性的推进。我作为建机第三部长,负责苏联、中国方面的工作。在这场谈判工作之中,谷牧副总理来日视察了枚方的推土机工厂。我负责自大阪的酒店到工厂的向导工作,跟在前面开路的警车之后,马不停蹄地忙前忙后。后来我得知,为了推进中国工业近代化,谷牧副总理主导了前往外国视察先进工业技术之事。记得他在小松的大阪工厂,也极为认真热情地视察现场、并积极地提出问题。
 却说小松与中国的技术提携谈判,负责成套设备以及技术导入契约工作的窗口是外国贸易部属下的技术进出口总公司。在谈判现场,中方有机械矿业部的技术人员待命。小松方则是访中团长、海外事业本部的弓野专务以及副团长的我参与契约条款的谈判工作。在长达100天的谈判期间,弓野专务时而回国,专务不在的时候,由我代行团长之职。
 中国方的契约书草案已经打印了出来,“在这上面签字就行”,中方公司的担当者如此说,然而很多条款的内容都是利于中国方面、对于日方而言难以完全接受。因此,我们开始逐条进行交涉。这个方法,来自于与苏联签署契约时积累的经验。另外,关于那些小松与美国公司契约中内容相同的部分,我与美国公司的担当董事互通了信息,因此针对不能让步的条款,我耐心细致地向对方说明理由、进行了持之以恒的交涉工作。最大的问题在于提供技术的范围、中方支付给小松的价格以及技术指导报酬。
 有一次,对方的担当一本正经地对我说:“安崎先生,你们最多不过给我们提供推土机技术而已,就向中国索取高额报酬,而中国向遣唐使传授了汉字和佛教,却并没有向日本要钱、免费教给你们了哦”。我吃惊地探头看他的脸色,他像啥事没有似的不了了之了。
 契约的谈判工作终于进入了最后阶段,合意几乎都已经达成、正在打算第二天商议签字仪式的事情。然而到了第二天,来了一位从没有露过面的人,宣称“至今为止的谈判完全取消。与日本企业之间的契约里,这样的条款不能放入。谈判必须从头开始”。看他的背后,对方技术人员们虽然脸色犯难,但是谁也不开口。这还了得,我一下子冒火了。前所未有的愤怒向我袭来。一瞬间,三国志里王朗马上愤死的场面涌上心头。心脏就像即将破裂似地剧烈跳动,脸色发红,呼吸也几乎要停止了。
“你能代表中国政府,全部无视我们辛辛苦苦100天,脚踏实地、认真谈判得出的结果?太荒谬了。这样的话,我们也停止谈判、回日本。我们怀着为中国的近代化做贡献的意愿,提出了小松产品在中国国产化的建议,而你却如此践踏我们的善意,这话就到此为止”,我丢下这些狠话,不顾大吃一惊的我方同僚以及对方技术人员们的阻拦、整理了一下气得哆嗦的呼吸、一个人离开了。那天回到宿舍、开始打点行李准备回国。
 第二天早上,听说对方有消息来了,是“请大家一起来”。我虽然怒气还没有平息,不过想到回国之前的道别还是应该进行的,于是就去了。昨天那位担当不在场。技术人员组的团长说:“就按照先前达成共识的内容办。准备签字仪式吧。”,听了他的话,我放下了心头大石。
 接下来我联系了河合总经理、与他商量后决定让弓野专务赶赴中国出席签字仪式、并定下了日程。然后等来了弓野专务、顺利地完成了签字仪式。在签字仪式后、宴会开始之前,作为对方技术人员组团长的副局长对我谆谆教诲:“安崎先生,东洋君子不应该那样满脸通红、勃然大怒地说话哦”。我除了点头认可什么也说不出来了。后来听说,我那异乎寻常的汹汹气势让中国方面大吃一惊后偃旗息鼓了。
 没有政治家的手腕、没有吵架的技巧,幸得血气方刚成全了我。

1杯100万ドルのウォッカ商談~手をたたいて快哉!

1杯100万ドルのウォッカ商談~無謀な真似をせずに…

中国語の翻訳者として、安崎会長の中国語の本を「三国」にたとえるなら、すでに中国で出版された「聚变」がかたい経済経営理論的な内容が多くて「三国志」だと言えて、これから中国で出版予定の「播种梦想」(仮称)が面白い部分がかなり増えたので「三国演義」だと言いたい。特に手をたたいて快哉を叫んだ内容がありました⇒「1杯100万ドルのウォッカ商談」。著者の許可をいただいて、シェアしましょう。ただし、ご注意頂きたいのが、コマツが旧蘇連でCATと壮絶な戦いを経て、売り手市場を作り上げたことが背景でしょうから、無謀な真似をせずに・・・

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…ソ連での契約調印後は、おきまりのウォッカ・パーティだ。何度かウォッカを飲んでいる内にわかってきたのは、私は6杯までは正気を保てるが、7杯で意識不明になってしまうということだった。7杯飲んだときは、必ずひっくり返ってしまい、ベッドの上で朝を迎える結末になる。服は着たまま、靴も履いたままという格好だ。party
 飲めないウォッカを無理して飲むうちに、体調を崩した。このままの生活をしていると、身体を悪くするか、仕事を辞めるかの選択となってしまう。ある日、無理矢理飲ませようとする商談相手に、「もう飲めない。これ以上飲ませるなら、次からの商談では1杯100万ドルの値上げをするぞ」と脅かした。相手も酔っているので、「OK、OK。いいから飲め」としつこく強要した。仕方がないので、無理をして飲み、いつも通りひっくり返ることになった。
 次の商談で価格を合意した後、「ところで、前回のウォッカ代を足してもらおう。あと100万ドル払え」と大人気なく、しかし断固として100万ドルの上乗せ交渉をした。当然、相手は拒否する。しかし、私も引き下がらない。2日粘って、結局100万ドル追加での契約調印に成功した。
 この100万ドルが、私のものになるわけではなく、当然会社の売上高となるのだが、当時の日ソ貿易担当で、こんなことをした日本人はいないだろう。その後、相手も私には「飲め、飲め」の無理強いはしなくなった。まさに100万ドルの威力だ…

1杯让谈判增值100万美元的伏特加~请勿盲目模仿…

作为中文译者,如果用三国来比喻安崎会长的中文书,那么已经在中国出版的《聚变》因其较难啃的经济经营理论方面的内容较多可喻之为《三国志》,而今后预计在中国出版的《播种梦想》(假定书名)里妙趣横生的内容大大增多,因此我想将它喻称为《三国演義》。里面有一段特别让我拍手称快的内容⇒《1杯让谈判增值100万美元的伏特加》。获得著者许可,分享如下。不过需要注意的是,安崎会长当时敢于如此行事是因为小松在苏联经过了与卡特彼勒之间你死我活竞争之后,打造出了卖方市场吧,因此谨防盲目模仿。

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…与苏联方签订契約之后,按照惯例举行了伏特加酒宴会。喝过几次伏特加后,我已经清楚自己的酒量,通常喝到6杯还能保持清醒,而喝到第7杯就会意识不清,喝完第7杯的结果必定是穿着衣服、鞋子就翻倒了,躺在床上直到第二天早上才能清醒过来。
 喝不了伏特加,却勉强喝,以至于喝坏了身体。如此下去,总有一天我将不得不面临喝垮身体还是辞掉工作的两难抉择。有一天,我威胁向我强行劝酒的商谈对手说:“不能再喝了。你如果硬要我继续喝,下一次商谈时提价,1杯算100万美元”。对方也已经醉了,继续不罢休地强行向我劝酒:“OK、OK。喝吧”。没办法,我只好勉强喝下,与通常情况一样,喝翻了。
 下一次商谈中双方就价格达成合意后,我像犯了孩子脾气似地、却毅然决然地向对方交涉加价100万美元:“话说,上次的伏特加费用加上吧。你得付100万美元”。当然,对方拒绝了,但是我却也不依不饶、绝不相让。你来我往斗了2天,结果是我成功地让对方加上100万美元、签订了契约。
 这100万美元当然不是进入了我的腰包、而是计入公司的销售额里。当时的日苏贸易担当里,除了我应该没有第二个人干过这样的事情。那之后,商谈对手再也不对我强行劝酒了,100万美元之巨大威力真是不容小觑…

本研究会の日中交流は計画に盛り込まれていない形での展開も

Dinner

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3月下旬、本研究会安崎会長より、去年8月に上海で出版された「聚変」の日本語訳をやるという日本人の友人と中国人協力者への御礼夕食会を4月3日夕方やるから遅れても参加しませんかと、メールが届きました。

日本語原文から訳された中国語の「聚変」はまた日本語へ戻されると、いうこのお話を伺いますと、 大変だな、元々の日本語を提供してあげて編集してもらえれば楽になるじゃないかと思い、食事会の時提案でもしてみようかと考えました。

そして4月3日夕方、東京駅近くの工業倶楽部での夕食会に参加しました。安崎会長から同じメールを受けた日中民間交流誌和華創刊者孫秀蓮さんも出席されました。安崎会長のご友人も和華の購読者でもありご縁ですね!

乾杯の挨拶後食事をしながら、翻訳のお話が出てきました。なんとご友人はすでに去年「聚変」が出版された頃から5人からなる翻訳グループを組んで翻訳を済ませたということです。コマツの歴史や日中交流の歴史をぎゅーと盛り込んだこの一冊を日本語で読みたいという安崎ファンがいるので、そのために頑張ったそうです。

当初原文から中国語へそのまま直訳すると自然さに欠けた中国語になってしまう部分については、安崎会長のご許可をいただき、 かなり意訳しました。このような意訳部分はまた日本語へ戻されると原文とニュアンスが若干違ってくることが避けられないが、 日本語で読みたいという方のニーズに十分お応えできると思います。 しかし、翻訳者達には膨大な作業できっと大変だったなと感心しながらも、 このことを早く知らせていただければ原文資料を提供したりして彼らの作業を少しでも軽減できたのではないかと今日も思い込んでいるところです。

本研究会の日中交流は、このような計画に盛り込まれていない展開形も見えてきました。思いも付かなかった形ですが、 良い方向に向かって人を励まし素晴らしいことと言えるのではないでしょうか。

—–For Chinese readers below—–以下中文阅读—–

3月下旬,本研究会安崎会长发来电子邮件说将于4月3日傍晚举办晚宴,以答谢说要把去年在上海出版的「聚変」翻译成日语的日本朋友和中国人协作者,问我那天是否可能去赴宴,即使迟到一些也行。

把从日语原文翻译成中文的著作「聚変」再译回日语,一听这话,我想这可是件太艰苦的活儿。 若把日语原文提供给他们以备他们编辑的话应该轻松多了吧,我如此想着并准备在吃饭时提提这个建议。

4月3日傍晚,我参加了在東京站附近的工业俱乐部的晚餐会。 收到安崎会长同样邀请的日中民間交流志和华创刊者孙秀莲也到了会。安崎先生的朋友同时也是和华的购读者,真是有缘啊!

大家干杯寒暄后开始用晚餐,话题也自然转入翻译之事方面。原来安崎会长的朋友从去年「聚変」出版后就组织了5人的翻译小组,已经完成了翻译工作。 他说有安崎粉丝很希望能好好读读这本高度浓缩了小松以及中日交流历史的日语版,因此就加油把它译回日语了。

当初在将原文译成中文的过程中,发现有些部分若直译成中文读来很缺乏自然感,因此征得安崎先生同意对这些部分进行了相当程度的意译。 而将意译的中文再译回日语,难免就与原文的表诉产生了若干的差异,不过对于希望阅读这本书的日语版的粉丝来说,应该是能充分满足他们的需求的。

然而想想还是觉得翻译者们实在太辛苦了。 为他们的努力而感动的我今天也一直在想,如果早点知道这件事,也许通过提供原文资料等方法大大减轻了他们的工作量吧。

本研究会的日中交流出现了没有预先订入计划里的展开形式。这类形式虽然出乎意料,却可说是在朝着好的方向,令人鼓舞的方向发展。

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創業、起業 希望の若者へ

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シャオミ、アリババなどの成功に刺激され起業を志す中国の若者が多いです。彼らへのアドバイスは?

去年上海で新書「聚变」の出版や交流会開催後、読者から質問が寄せられているそうです。シャオミ、アリババなどの成功に刺激され起業を志す中国の若者が多いです。彼らへのアドバイスは?と、上海の出版社から是非ご回答をというリクエストを受けて、下記の通り回答を送ったが、ブログにも載せておきましょう。

1.創業、起業は資本主義のダイナミズムを思わせます。
今、平均的には、アメリカの起業率が高く日本では低いでしょう。起業率が低い理由を日本人の安定を求める国民性や几帳面な職人文化に求める考えもありますが、私はそうは思っていません。
一般のサラリーマンは別として、本気で起業を望む若者は今の日本にもたくさんいます。
三井、住友に代表される、日本に多い400年、300年の長寿企業や、明治維新の時代に渋沢栄一、岩崎弥太郎の起こした企業、あるいは戦後のSONY、HONDAは創業後も発展を続けています。自動車のトヨタ、建機のコマツも同じです。コマツの創業者 竹内 明太郎のことは私の本に書きました。最近では、まだ先はわからんぞという声もあるでしょうが、ソフトバンク、楽天、ユニクロなどは創業成功に近いところに来ていると言えましょう。
つまり、時代の必要性を見抜いた創業が成功するという歴史的真実は洋の東西を問いません。中国ではどうでしょう。今は圧倒的に国営企業の時代です。それでも、民間のアリババや三一重工は成功しつつあります。

2.このような創業、起業の成功例、また有名無名の無数の失敗例を見ながら、今中国で創業、起業を決意している若者に差し上げる私流のアドバイスを次のようにまとめました。

「A」初心が大事だ。
大金を儲けたいのが、起業の動機の一つだろうが、それだけでは大きな成功は期待できない。成功事例の大半は、創業・起業の初心に金儲け以上の大きな志があったことを教えている。それは、時代や人により異なる志・希望であるが、なんらかの形で世のため人のための利他の心に裏打ちされている。起業を最後まで成功に持ち込む執念は強烈な初心次第だ。既存の企業で階段を上り社長になろうとする動機もよく似ている。ただ社長になりたいという望みだけでは課長にもなれない。社長になって何をやるのか課題を持って努力する人にしかチャンスは巡ってこない。

「B」天の時に恵まれると運が向く。
今の中国では国営企業がすべての業種で中心だろう。国営企業が巨大さだけで今後も優勢である保証がない時代だ。国営企業も民営化の課題を持つ、少なくとも民間企業の長所を取り入れる努力を怠れない。国営企業の隙を突く起業にはチャンスがあるかも知れない。
「世の中の変化が競争相手だ」という私の考えは、大企業経営者としての発言だが、先を見た信念・戦略に基づく起業者にも通じるだろう。千分の一、万分の一の成功確率だから、運を引き込む先見性のある起業でなくてはならない。

「C」死の谷を渡れ。
成功した起業者は何度も失敗をしている。金が足りない。商品やサービスに欠陥が出る。
信頼した従業員に裏切られる。もうだめだという死の谷が必ず現れる。この谷を渡れば成功への機会が待っている。挑戦する若者を見守るメンターや支援者の応援も必要。Aの初心と共に常日頃の本人の信頼性が支援者を惹きつける鍵となる
一度や二度の失敗で諦めるぐらいなら初めからやらないほうが身の為だ。

「D」信念を持て。
初心をわかりやすく「信念化」する。なんでも良いが、私の場合は「忘己利他」と「苦進楽愼」だった。しぶとい信念の実現に向かっての努力が幸運をもたらす。
毎日、朝起きたらこの信念化した呪文を唱える。山より大きな猪はいない。大きな猪がいつの間にかいなくなっている。

起業、創業を目指す若者の将来に祝福を贈る。

—–For Chinese readers below—–以下中文阅读—–

致希望创业、起业的年轻人~寄语众多受小米、阿里巴巴等成功案例激励而立志起业的年青人 。

去年新书「聚变」在上海出版、继而举办交流会后,听上海的出版社说收到了一些读者的提问,并希望我能对众多受小米、阿里巴巴等成功案例激励而立志起业的年青人有所回应。现将我对读者的回复也载于博客,分享于众。

1.创业、起业让人联想起资本主义的蓬勃生机与活力
平均而言,现今美国的起业率看似高于日本。 有种观点认为这源于日本人追求安定性的国民性以及脚踏实地的职人文化,但我并不同意这个看法。
撇开一般的工薪族不说,其实在当今的日本一门心思希望起业者大有人在。
代表三井、住友的日本众多拥有400年、300年历史的长寿企业,在明治维新时代由涉沢荣一、岩崎弥太郎创立的企业、或者战后之索尼、本田在创业后也持续发展。 制车行的丰田,建设机械行的小松也如此。关于小松的创业者竹内 明太郎我在书里写到了。最近,针对软银、乐天、优衣库等企业,虽有一些前景难料的看法,不过我认为这些企业差不多可划入创业成功之列了。
就是说,只有彻底洞察时代需求的创业才能成功,这是为历史所印证的事实,无论东西,普世皆同。再看中国的现状,当今国营企业还占压倒性上风。尽管如此,民间的阿里巴巴和三一重工却正逐步走向成功。

2.通过这类创业、起业的成功例、或者无数有名无名的失败例,我总结了以下荐语,献给决意创业、起业的中国年青人。

「A」重要的是初心不改。
想赚大钱,这兴许是起业动机之一,然而仅有这点志向是无望大成的。成功事例几乎都证明,创业者在创业、起业之初都立有超乎于赚钱的大志,那便是不同于其所处時代与世人们的普通志向・希望,这志向・希望因受为世界为他人这种利他之心的激励而愈发强大。 起业的执著信念能否贯穿于起业至成功,在于有否强烈的初心。这和在现存企业里想一步步上升为社长的动机有相似之处。仅仅有成为社长之愿望,那么恐怕连成为课长都只是奢望而已。机遇,只会让那种对成为社长后的自己要解决什么课题胸有成竹并立志为此努力奋斗的人碰到。

「B」遇天时,运亦转。
中国如今还是以国营企业为各行各业的中心。虽说国营企业规模庞大,但是并没有什么因素能保其持续优势,时代必会证明这一点。国营企业不可高枕无忧,也需未雨绸缪,作好准备以应对民营化潮流中将遇到的课题,至少应该努力学习吸取民间企业的长处。起业,从寻找国营企业的漏洞以及解决方法着手,这兴许是与良机相遇的一个起点。
「世事变迁才是竞争对手」,这虽是我作为大企业经营者的观点和发言,不过想来也应该适用于那些立下富有远见信念及战略决策的起业者。起业,因其只有千分之一、万分之一的成功率,所以它必须是能挖掘出潜藏好运的、具有远见卓识的起业。

「C」跨越死亡之谷。
成功的起业者也会屡经失败。资金不足,商品和服务存在缺陷,被其信赖的员工背叛等等,起业途中各种让其觉得已无路可走的死亡之谷必然出现。不过只要走出这个死谷,便能与前方等候着的良机相遇。另外,在起业途中向机遇挑战的年青人还需要良师引导,需要来自于援助者的支援。与上述A的初心一样,起业者本人的信赖性也是吸引支援者的关键所在。对于仅因一、二次失败就放弃的人而言,最初就不要开始,这方为保身上策。

「D」坚持信念
将初心浅显易懂地信念化。比如我便将自己的初心浓缩成了「忘己利他」和「苦进乐慎」。朝着顽强的信念努力才能与幸运相遇。
每天早起后唱念信念化的文字,如唱念咒文一般。若说一段段人生崎岖如山,一个个艰难险阻如野猪,那么没有比山更大的野猪,再大的野猪也会从山中消失。

为怀抱起业、创业志向的年青人,为他们的将来,在此送去我的祝福。

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コマツ元社長安崎先生新書発表会 at 上海書展

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2014年8月16日、世界500強グローバル企業コマツ元社長安崎暁先生は、上海書展で新書発表兼講演を行いました。meeting1

 当日、上海展覧中心二号活動エリアに空席がないほど大勢の方々はご来場され、安崎先生が友人との合著「日本型ハイブリッド経営」のアップグレード中国語版《聚变》のご紹介、安崎先生の講演、重量級ゲスト間のパネルディスカッション、来場者とのFace to faceコミュニケーション等が行われ、活気溢れる盛会となりました。meeting2

ご来場された重量級ゲストは下記の通りです。
・世界500強グローバル企業 コマツ 元社長安崎晓先生
小松(中国)投资有限公司 王子光総経理
・上海交通大学安泰经济管理学院 费一文教授
・米国 ハーレーダビッドソン(Harley Davidson)中国地域高瑾馨総裁

 

Mr.Xu

同時通訳 徐先生

主催者関係者達や素敵な同時通訳徐先生の努力により、安崎先生の講演及びゲストのパネルディスカッションが順調に進み、時間を稼げてゲスト達と聴衆間の対面コミュニケーションや安崎先生への署名リクエストへの対応がうまくできました。

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パネルディスカッションでゲスト達は、トップレベルのグローバル企業家やグローバル経済学者としてそれぞれの角度から、経済のグローバル化を背景にする企業経営についてご発言なさいました。

費一文教授は、特に「企業の競争相手は同業他社ではなく世の中の変化だ」という《聚变》の真髄部分について深く言及され安崎先生にかなり共鳴していました。なお、産業と金融のバランス関係について、費教授は料理作りに使われる材料と調味料のバランスコントロールに譬え、安崎先生は人間の両足のバランスコントロールに譬え述べましたが、こちらにもお二人の共感を沢山感じ取れました。meeting6

小松(中国)投資有限公司の王子光総経理は、さすがに”コマツマン”であり、ご発言と安崎先生のご発言と高度な一致性を伺えて大変感心です。発表会前後の打ち合わせや食卓でも、周りの方へ通訳する際、まるで安崎先生が語っているような気がする場面も多くありました。

米国ハーレーダビッドソン(Harley Davidson)中国地域高瑾馨総裁も上海側出版社の社長も活発なご発言をなさいました。

発表会は、熱い拍手の中で主催側出版社関係者とゲストとの乾杯を以って円満にクロージングを迎えました。meeting9

余談になりますが、翌日17日に、安崎先生は上海側出版社関係者と一緒に景徳鎮観光へ、その日偶然に車で2時間ぐらいの九江に三国遺跡があることを知った12種もの三国を読んだスーパー三国ファン安崎先生のご提案により、18日に計画外の江西省九江へ煙水亭という三国呉の周瑜の点将台観光へ行くことになった。九江でついでに計画外の人物-日中民間交流誌「和華」へ漢詩を2回寄稿された晩影さんと集合しご案内してもらい、昼食をご馳走にもなってしまい、お土産までたくさんいただきました。meeting11

短い3日間でしたが、いろんなところを回り、いろんな方々との出会いや農家料理を含む様々な美味しいものを満喫し、充実した経済文化交流兼風土人情ハイブリッド旅を堪能しました。

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小松原社长安崎先生新书发表会 at 上海书展

2014年8月16日、世界500强全球化企业小松原社长安崎晓先生现身上海书展,进行了新书发表以及演讲。

当天,众多听众涌入上海展览中心二号活动区,场内几近座无虚席。发表会内容包括对安崎先生与友人的合著「日本型ハイブリッド経営」的中文升级版《聚变》的介绍,安崎先生的演讲,重量级嘉宾间的讨论,嘉宾与听众间面对面的交流等等,气氛活跃,堪称一场盛会。

当天来场的重量级嘉宾如下:
 ・世界500強全球化企业 小松原社长 安崎晓先生
 ・小松(中国)投资有限公司总经理 王子光先生
 ・上海交通大学安泰经济与管理学院金融系费一文教授
 ・美国哈雷戴维森(Harley Davidson)中国区的总裁高瑾馨女士

多谢发布会主办方工作人员以及高水平同声传译徐先生的辛勤工作,安崎先生的演讲以及嘉宾间的讨论得以顺利进行,赢取了嘉宾与听众间面对面交流以及安崎先生回应签名要求所需的时间。

作为顶级全球化企业家,顶级全球化经济学家,嘉宾们从各自的角度就经济全球化背景下的企业经营简要地发表了自己的见解。

費一文教授特别深入地提及“企业的竞争对手不是同行他公司,而是世事的变迁”这一《聚变》的精华内容,他在此点上与安崎先生颇有共鸣。另外,关于产业和金融的平衡关系,費教授将之比喻为作菜用的材料与调味料之间的平衡调控,安崎先生将之比喻为人的双腿之间的平衡调控,例子虽有所不同,听来却深感异曲同工之妙。

小松(中国)投資有限公司的王子光总经理真不愧为一位“小松人”,他与安崎先生发言的高度一致性令人叫绝。在发表会前后的碰头会以及饭桌上他为周围的宾客翻译时,让我觉得似乎是在听安崎先生本人的解说。

美国哈雷戴维森(Harley Davidson)中国地区高瑾馨总裁以及上海方出版社社长也作了活跃的发言。

发表会在热烈的掌声中,在主办方出版社各位以及嘉宾们的干杯中圆满结束。

最后余谈一下,翌日的17日、安崎先生与上海方出版社关系者一同前往景徳镇观光,在那里偶尔得知开车2小时即道的九江有三国遗址,于是曾读过12个版本三国志的超级三国粉丝安崎先生提议18日前往计划外的江西省九江三国吴国周瑜的点将台煙水亭观光,在那里顺便与计划外人物-为日中民间交流杂志“和华”投过2次汉诗的晩影先生会合,听从他的观光导航,出席他的午餐邀请,还接受了他一大堆当地特产。

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      3天的时间虽然短暂,大家却尽兴游玩了许多地方,邂逅了各色各样的人物,饱尝了农家料理等等美味,尽兴享受了一场饱满的经济文化交流兼风土人情混合型观光游。

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