本研究会の日中交流は計画に盛り込まれていない形での展開も

Dinner

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3月下旬、本研究会安崎会長より、去年8月に上海で出版された「聚変」の日本語訳をやるという日本人の友人と中国人協力者への御礼夕食会を4月3日夕方やるから遅れても参加しませんかと、メールが届きました。

日本語原文から訳された中国語の「聚変」はまた日本語へ戻されると、いうこのお話を伺いますと、 大変だな、元々の日本語を提供してあげて編集してもらえれば楽になるじゃないかと思い、食事会の時提案でもしてみようかと考えました。

そして4月3日夕方、東京駅近くの工業倶楽部での夕食会に参加しました。安崎会長から同じメールを受けた日中民間交流誌和華創刊者孫秀蓮さんも出席されました。安崎会長のご友人も和華の購読者でもありご縁ですね!

乾杯の挨拶後食事をしながら、翻訳のお話が出てきました。なんとご友人はすでに去年「聚変」が出版された頃から5人からなる翻訳グループを組んで翻訳を済ませたということです。コマツの歴史や日中交流の歴史をぎゅーと盛り込んだこの一冊を日本語で読みたいという安崎ファンがいるので、そのために頑張ったそうです。

当初原文から中国語へそのまま直訳すると自然さに欠けた中国語になってしまう部分については、安崎会長のご許可をいただき、 かなり意訳しました。このような意訳部分はまた日本語へ戻されると原文とニュアンスが若干違ってくることが避けられないが、 日本語で読みたいという方のニーズに十分お応えできると思います。 しかし、翻訳者達には膨大な作業できっと大変だったなと感心しながらも、 このことを早く知らせていただければ原文資料を提供したりして彼らの作業を少しでも軽減できたのではないかと今日も思い込んでいるところです。

本研究会の日中交流は、このような計画に盛り込まれていない展開形も見えてきました。思いも付かなかった形ですが、 良い方向に向かって人を励まし素晴らしいことと言えるのではないでしょうか。

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3月下旬,本研究会安崎会长发来电子邮件说将于4月3日傍晚举办晚宴,以答谢说要把去年在上海出版的「聚変」翻译成日语的日本朋友和中国人协作者,问我那天是否可能去赴宴,即使迟到一些也行。

把从日语原文翻译成中文的著作「聚変」再译回日语,一听这话,我想这可是件太艰苦的活儿。 若把日语原文提供给他们以备他们编辑的话应该轻松多了吧,我如此想着并准备在吃饭时提提这个建议。

4月3日傍晚,我参加了在東京站附近的工业俱乐部的晚餐会。 收到安崎会长同样邀请的日中民間交流志和华创刊者孙秀莲也到了会。安崎先生的朋友同时也是和华的购读者,真是有缘啊!

大家干杯寒暄后开始用晚餐,话题也自然转入翻译之事方面。原来安崎会长的朋友从去年「聚変」出版后就组织了5人的翻译小组,已经完成了翻译工作。 他说有安崎粉丝很希望能好好读读这本高度浓缩了小松以及中日交流历史的日语版,因此就加油把它译回日语了。

当初在将原文译成中文的过程中,发现有些部分若直译成中文读来很缺乏自然感,因此征得安崎先生同意对这些部分进行了相当程度的意译。 而将意译的中文再译回日语,难免就与原文的表诉产生了若干的差异,不过对于希望阅读这本书的日语版的粉丝来说,应该是能充分满足他们的需求的。

然而想想还是觉得翻译者们实在太辛苦了。 为他们的努力而感动的我今天也一直在想,如果早点知道这件事,也许通过提供原文资料等方法大大减轻了他们的工作量吧。

本研究会的日中交流出现了没有预先订入计划里的展开形式。这类形式虽然出乎意料,却可说是在朝着好的方向,令人鼓舞的方向发展。

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創業、起業 希望の若者へ

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シャオミ、アリババなどの成功に刺激され起業を志す中国の若者が多いです。彼らへのアドバイスは?

去年上海で新書「聚变」の出版や交流会開催後、読者から質問が寄せられているそうです。シャオミ、アリババなどの成功に刺激され起業を志す中国の若者が多いです。彼らへのアドバイスは?と、上海の出版社から是非ご回答をというリクエストを受けて、下記の通り回答を送ったが、ブログにも載せておきましょう。

1.創業、起業は資本主義のダイナミズムを思わせます。
今、平均的には、アメリカの起業率が高く日本では低いでしょう。起業率が低い理由を日本人の安定を求める国民性や几帳面な職人文化に求める考えもありますが、私はそうは思っていません。
一般のサラリーマンは別として、本気で起業を望む若者は今の日本にもたくさんいます。
三井、住友に代表される、日本に多い400年、300年の長寿企業や、明治維新の時代に渋沢栄一、岩崎弥太郎の起こした企業、あるいは戦後のSONY、HONDAは創業後も発展を続けています。自動車のトヨタ、建機のコマツも同じです。コマツの創業者 竹内 明太郎のことは私の本に書きました。最近では、まだ先はわからんぞという声もあるでしょうが、ソフトバンク、楽天、ユニクロなどは創業成功に近いところに来ていると言えましょう。
つまり、時代の必要性を見抜いた創業が成功するという歴史的真実は洋の東西を問いません。中国ではどうでしょう。今は圧倒的に国営企業の時代です。それでも、民間のアリババや三一重工は成功しつつあります。

2.このような創業、起業の成功例、また有名無名の無数の失敗例を見ながら、今中国で創業、起業を決意している若者に差し上げる私流のアドバイスを次のようにまとめました。

「A」初心が大事だ。
大金を儲けたいのが、起業の動機の一つだろうが、それだけでは大きな成功は期待できない。成功事例の大半は、創業・起業の初心に金儲け以上の大きな志があったことを教えている。それは、時代や人により異なる志・希望であるが、なんらかの形で世のため人のための利他の心に裏打ちされている。起業を最後まで成功に持ち込む執念は強烈な初心次第だ。既存の企業で階段を上り社長になろうとする動機もよく似ている。ただ社長になりたいという望みだけでは課長にもなれない。社長になって何をやるのか課題を持って努力する人にしかチャンスは巡ってこない。

「B」天の時に恵まれると運が向く。
今の中国では国営企業がすべての業種で中心だろう。国営企業が巨大さだけで今後も優勢である保証がない時代だ。国営企業も民営化の課題を持つ、少なくとも民間企業の長所を取り入れる努力を怠れない。国営企業の隙を突く起業にはチャンスがあるかも知れない。
「世の中の変化が競争相手だ」という私の考えは、大企業経営者としての発言だが、先を見た信念・戦略に基づく起業者にも通じるだろう。千分の一、万分の一の成功確率だから、運を引き込む先見性のある起業でなくてはならない。

「C」死の谷を渡れ。
成功した起業者は何度も失敗をしている。金が足りない。商品やサービスに欠陥が出る。
信頼した従業員に裏切られる。もうだめだという死の谷が必ず現れる。この谷を渡れば成功への機会が待っている。挑戦する若者を見守るメンターや支援者の応援も必要。Aの初心と共に常日頃の本人の信頼性が支援者を惹きつける鍵となる
一度や二度の失敗で諦めるぐらいなら初めからやらないほうが身の為だ。

「D」信念を持て。
初心をわかりやすく「信念化」する。なんでも良いが、私の場合は「忘己利他」と「苦進楽愼」だった。しぶとい信念の実現に向かっての努力が幸運をもたらす。
毎日、朝起きたらこの信念化した呪文を唱える。山より大きな猪はいない。大きな猪がいつの間にかいなくなっている。

起業、創業を目指す若者の将来に祝福を贈る。

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致希望创业、起业的年轻人~寄语众多受小米、阿里巴巴等成功案例激励而立志起业的年青人 。

去年新书「聚变」在上海出版、继而举办交流会后,听上海的出版社说收到了一些读者的提问,并希望我能对众多受小米、阿里巴巴等成功案例激励而立志起业的年青人有所回应。现将我对读者的回复也载于博客,分享于众。

1.创业、起业让人联想起资本主义的蓬勃生机与活力
平均而言,现今美国的起业率看似高于日本。 有种观点认为这源于日本人追求安定性的国民性以及脚踏实地的职人文化,但我并不同意这个看法。
撇开一般的工薪族不说,其实在当今的日本一门心思希望起业者大有人在。
代表三井、住友的日本众多拥有400年、300年历史的长寿企业,在明治维新时代由涉沢荣一、岩崎弥太郎创立的企业、或者战后之索尼、本田在创业后也持续发展。 制车行的丰田,建设机械行的小松也如此。关于小松的创业者竹内 明太郎我在书里写到了。最近,针对软银、乐天、优衣库等企业,虽有一些前景难料的看法,不过我认为这些企业差不多可划入创业成功之列了。
就是说,只有彻底洞察时代需求的创业才能成功,这是为历史所印证的事实,无论东西,普世皆同。再看中国的现状,当今国营企业还占压倒性上风。尽管如此,民间的阿里巴巴和三一重工却正逐步走向成功。

2.通过这类创业、起业的成功例、或者无数有名无名的失败例,我总结了以下荐语,献给决意创业、起业的中国年青人。

「A」重要的是初心不改。
想赚大钱,这兴许是起业动机之一,然而仅有这点志向是无望大成的。成功事例几乎都证明,创业者在创业、起业之初都立有超乎于赚钱的大志,那便是不同于其所处時代与世人们的普通志向・希望,这志向・希望因受为世界为他人这种利他之心的激励而愈发强大。 起业的执著信念能否贯穿于起业至成功,在于有否强烈的初心。这和在现存企业里想一步步上升为社长的动机有相似之处。仅仅有成为社长之愿望,那么恐怕连成为课长都只是奢望而已。机遇,只会让那种对成为社长后的自己要解决什么课题胸有成竹并立志为此努力奋斗的人碰到。

「B」遇天时,运亦转。
中国如今还是以国营企业为各行各业的中心。虽说国营企业规模庞大,但是并没有什么因素能保其持续优势,时代必会证明这一点。国营企业不可高枕无忧,也需未雨绸缪,作好准备以应对民营化潮流中将遇到的课题,至少应该努力学习吸取民间企业的长处。起业,从寻找国营企业的漏洞以及解决方法着手,这兴许是与良机相遇的一个起点。
「世事变迁才是竞争对手」,这虽是我作为大企业经营者的观点和发言,不过想来也应该适用于那些立下富有远见信念及战略决策的起业者。起业,因其只有千分之一、万分之一的成功率,所以它必须是能挖掘出潜藏好运的、具有远见卓识的起业。

「C」跨越死亡之谷。
成功的起业者也会屡经失败。资金不足,商品和服务存在缺陷,被其信赖的员工背叛等等,起业途中各种让其觉得已无路可走的死亡之谷必然出现。不过只要走出这个死谷,便能与前方等候着的良机相遇。另外,在起业途中向机遇挑战的年青人还需要良师引导,需要来自于援助者的支援。与上述A的初心一样,起业者本人的信赖性也是吸引支援者的关键所在。对于仅因一、二次失败就放弃的人而言,最初就不要开始,这方为保身上策。

「D」坚持信念
将初心浅显易懂地信念化。比如我便将自己的初心浓缩成了「忘己利他」和「苦进乐慎」。朝着顽强的信念努力才能与幸运相遇。
每天早起后唱念信念化的文字,如唱念咒文一般。若说一段段人生崎岖如山,一个个艰难险阻如野猪,那么没有比山更大的野猪,再大的野猪也会从山中消失。

为怀抱起业、创业志向的年青人,为他们的将来,在此送去我的祝福。

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コマツ元社長安崎先生新書発表会 at 上海書展

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2014年8月16日、世界500強グローバル企業コマツ元社長安崎暁先生は、上海書展で新書発表兼講演を行いました。meeting1

 当日、上海展覧中心二号活動エリアに空席がないほど大勢の方々はご来場され、安崎先生が友人との合著「日本型ハイブリッド経営」のアップグレード中国語版《聚变》のご紹介、安崎先生の講演、重量級ゲスト間のパネルディスカッション、来場者とのFace to faceコミュニケーション等が行われ、活気溢れる盛会となりました。meeting2

ご来場された重量級ゲストは下記の通りです。
・世界500強グローバル企業 コマツ 元社長安崎晓先生
小松(中国)投资有限公司 王子光総経理
・上海交通大学安泰经济管理学院 费一文教授
・米国 ハーレーダビッドソン(Harley Davidson)中国地域高瑾馨総裁

 

Mr.Xu

同時通訳 徐先生

主催者関係者達や素敵な同時通訳徐先生の努力により、安崎先生の講演及びゲストのパネルディスカッションが順調に進み、時間を稼げてゲスト達と聴衆間の対面コミュニケーションや安崎先生への署名リクエストへの対応がうまくできました。

meeting5

パネルディスカッションでゲスト達は、トップレベルのグローバル企業家やグローバル経済学者としてそれぞれの角度から、経済のグローバル化を背景にする企業経営についてご発言なさいました。

費一文教授は、特に「企業の競争相手は同業他社ではなく世の中の変化だ」という《聚变》の真髄部分について深く言及され安崎先生にかなり共鳴していました。なお、産業と金融のバランス関係について、費教授は料理作りに使われる材料と調味料のバランスコントロールに譬え、安崎先生は人間の両足のバランスコントロールに譬え述べましたが、こちらにもお二人の共感を沢山感じ取れました。meeting6

小松(中国)投資有限公司の王子光総経理は、さすがに”コマツマン”であり、ご発言と安崎先生のご発言と高度な一致性を伺えて大変感心です。発表会前後の打ち合わせや食卓でも、周りの方へ通訳する際、まるで安崎先生が語っているような気がする場面も多くありました。

米国ハーレーダビッドソン(Harley Davidson)中国地域高瑾馨総裁も上海側出版社の社長も活発なご発言をなさいました。

発表会は、熱い拍手の中で主催側出版社関係者とゲストとの乾杯を以って円満にクロージングを迎えました。meeting9

余談になりますが、翌日17日に、安崎先生は上海側出版社関係者と一緒に景徳鎮観光へ、その日偶然に車で2時間ぐらいの九江に三国遺跡があることを知った12種もの三国を読んだスーパー三国ファン安崎先生のご提案により、18日に計画外の江西省九江へ煙水亭という三国呉の周瑜の点将台観光へ行くことになった。九江でついでに計画外の人物-日中民間交流誌「和華」へ漢詩を2回寄稿された晩影さんと集合しご案内してもらい、昼食をご馳走にもなってしまい、お土産までたくさんいただきました。meeting11

短い3日間でしたが、いろんなところを回り、いろんな方々との出会いや農家料理を含む様々な美味しいものを満喫し、充実した経済文化交流兼風土人情ハイブリッド旅を堪能しました。

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中国語記事⇒【活动回顾】世界500强日本小松原社长安崎晓演讲交流暨新书发布会
日本語記事⇒2014年8月流水乱記~中国への旅

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小松原社长安崎先生新书发表会 at 上海书展

2014年8月16日、世界500强全球化企业小松原社长安崎晓先生现身上海书展,进行了新书发表以及演讲。

当天,众多听众涌入上海展览中心二号活动区,场内几近座无虚席。发表会内容包括对安崎先生与友人的合著「日本型ハイブリッド経営」的中文升级版《聚变》的介绍,安崎先生的演讲,重量级嘉宾间的讨论,嘉宾与听众间面对面的交流等等,气氛活跃,堪称一场盛会。

当天来场的重量级嘉宾如下:
 ・世界500強全球化企业 小松原社长 安崎晓先生
 ・小松(中国)投资有限公司总经理 王子光先生
 ・上海交通大学安泰经济与管理学院金融系费一文教授
 ・美国哈雷戴维森(Harley Davidson)中国区的总裁高瑾馨女士

多谢发布会主办方工作人员以及高水平同声传译徐先生的辛勤工作,安崎先生的演讲以及嘉宾间的讨论得以顺利进行,赢取了嘉宾与听众间面对面交流以及安崎先生回应签名要求所需的时间。

作为顶级全球化企业家,顶级全球化经济学家,嘉宾们从各自的角度就经济全球化背景下的企业经营简要地发表了自己的见解。

費一文教授特别深入地提及“企业的竞争对手不是同行他公司,而是世事的变迁”这一《聚变》的精华内容,他在此点上与安崎先生颇有共鸣。另外,关于产业和金融的平衡关系,費教授将之比喻为作菜用的材料与调味料之间的平衡调控,安崎先生将之比喻为人的双腿之间的平衡调控,例子虽有所不同,听来却深感异曲同工之妙。

小松(中国)投資有限公司的王子光总经理真不愧为一位“小松人”,他与安崎先生发言的高度一致性令人叫绝。在发表会前后的碰头会以及饭桌上他为周围的宾客翻译时,让我觉得似乎是在听安崎先生本人的解说。

美国哈雷戴维森(Harley Davidson)中国地区高瑾馨总裁以及上海方出版社社长也作了活跃的发言。

发表会在热烈的掌声中,在主办方出版社各位以及嘉宾们的干杯中圆满结束。

最后余谈一下,翌日的17日、安崎先生与上海方出版社关系者一同前往景徳镇观光,在那里偶尔得知开车2小时即道的九江有三国遗址,于是曾读过12个版本三国志的超级三国粉丝安崎先生提议18日前往计划外的江西省九江三国吴国周瑜的点将台煙水亭观光,在那里顺便与计划外人物-为日中民间交流杂志“和华”投过2次汉诗的晩影先生会合,听从他的观光导航,出席他的午餐邀请,还接受了他一大堆当地特产。

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      3天的时间虽然短暂,大家却尽兴游玩了许多地方,邂逅了各色各样的人物,饱尝了农家料理等等美味,尽兴享受了一场饱满的经济文化交流兼风土人情混合型观光游。

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中文投稿⇒【活动回顾】世界500强日本小松原社长安崎晓演讲交流暨新书发布会
日语投稿⇒2014年8月流水乱記~中国への旅

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企業の真の競争相手は同業他社ではなく、世の中の変化だ(続き)

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前文の続き---ロシアダイアモンド鉱山に行ったの後の話です。

1980年ごろのシベリアの空の旅は不便だった。10月の寒くなりかけたころ、日本からモスクワに行き、イルクーツク経由ヤクートに行った。雪が降ると天候次第で時間の予定が定まらない。イルクーツク空港で仮眠かと覚悟したら、すぐ出発だと案内の人に言われ、飛行機に乗りかえた。後で聞かされた話では、我々外人客を乗せるため、ロシア人の客を強制的に降ろしたらしい。申し訳なかったが、遠慮しているといつ乗れるか分からない。

ダイヤモンド鉱山は、朝日新聞の写真に出た如く巨大。ゲストハウスのまわりは堀がほられ、上げ下げできる橋がかかっていた。外国人が自由に出入りできない仕掛けとなっていたのだ。技術者は朝宿舎をバスで出て、夕方宿舎に帰る単純な毎日を半年過ごした。娯楽施設は何もなく、土日たまにロシア語の映画館に連れていくだけ。私が到着したら、滞在中の技術者が口々にひどいところだ、と泣き出さぬばかり。

早速相手の鉱山のお役人たちとの会談に入る、テーブルにダイヤの原石を数個出して、これが大型ダンプ1台に2個も入っていれば、オンノジだという。有難うとポケットにしまったら、怖い顔をした別の係官が飛んできた。返せというから、妻へのお土産を別に買わなくてはならないと笑って返した。係官はあげたのではなくサンプルとして遠来の客に見せてあげたのだと真面目な顔で説明する。翌日作業現場を調査する時、身体検査後、先方の作業服と長靴に着かえさせられた時にいわれた。”貴方は冗談が好きらしいが、現場でしゃがんでは絶対にだめですよ、ライフルで射殺されますから”と。監視員が見張りの塔に立ちライフルで狙っている。流石にダイヤを拾えなかった。

最後の交渉で感心したのは、決着ぎりぎりの最後に出てきた鉱山長の人物人柄。テキパキと問題点の協議に応ずる。いずれ本省に戻り出世の階段を上がっていくのだと周りの人が一目置いている。世界最大級のダイヤ鉱山長だからこの人は後に本当に偉くなった。

ノメンクラツーラというロシア語があるが、前途有望な若い官僚を難しい仕事をこなさせて、次のポストに進ませる人事教育の仕組み。中国の共青団の大幹部育成の人事コースとか、日本の昔の大蔵省のエリ-トが地方の税務署長として修業したようなものかと思った。

今になって顧みれば人は出張旅行を通じて、いろんな人とコミュニケーションを取りいろんなことを経験することによりグローバルな視野がだんだんと身についてくる。そして世の中の変化~この”企業の真の競争相手”と上手く付き合えるようになる。これこそ旅の大きな醍醐味の一つと言えよう。

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接着上次,说说我到俄国钻石矿山后的事情。

1980年前后的西伯利亚的空路还不怎么畅通,在正转寒的10月,我们坐上从日本飞往莫斯科方向的航班,经由伊尔库茨克抵达雅库特。途中遇雪天航班停飞,复航全凭天气状况。我们在伊尔库茨克正想小睡片刻,却接到马上出发的通知而登上了飞机。之后听说为了让我们外国人登机,好像强行拉下了俄国客人。虽然觉得抱歉,不过倘若谦让的话就难说什么时候才能登机了。

钻石矿山正如我在朝日新闻上见到的照片展示的那么巨大。招待所周围挖了沟壑并架着便于上下的桥梁。其构造让外国人难以自由出入。技术人员们乘坐公交车早出晚归,过了半年单调枯燥的日子。没有娱乐设施,唯一的乐趣是周末偶尔会有人来带着他们去看场俄语电影。我到了后,面对的是连连诉苦的哭丧着脸的技术员工们。

我与矿山有关负责人之间的会谈很快开始了,对方掏出几个金刚石放在桌上说要是一台大型翻斗车能进2个就值了。我说了声谢谢就把金刚石装入口袋,顿时另一位脸色吓人的担当冲了出来要我交还,我一边笑说得另外给太太买礼物一边把金刚石还给了他。那人一脸严肃地解释这不是送给你的,而是作为样品给远方来的客人看的。第二天在调查施工现场时,接受体检后换上了他们提供的工作服和长靴并被告知:“你好像喜欢开玩笑,不过在现场可不能蹲着,会被步枪打死的”。岗哨塔里站着荷枪实弹的监视员,那确实不是能捡钻石的氛围。

在最后的交涉工作中,在达成协议的最后阶段出场的矿山长的人品让我尤其敬佩。这位矿山长对相关问题的协议工作进行得干脆利落,周围的人都对他另眼相看,认为他有天必会回到原来的单位并获取高升。事实上,这位世界最大规模钻石矿山长后来确实得以高升,成了了不起的大人物。

俄国有所谓的要职人员登用制度,那便是安排年轻有望的官员去艰苦的环境中积累工作经验,为以后的提升而实施的人事教育制度。我觉得这个制度与中国共青团以培育大干部为目的的人事课程以及从前日本财政部派遣精英们担任地方税务署长的修业制度有异曲同工之妙。

回顾这些往事,我认为在出差或者旅行中通过与各类人物的交流以及对各种事物的体验都能对人们全球化视野的形成发挥潜移默化的积极作用。进而让我们能与世界的变化~这个”企业真正的竞争对手”和平共处。这可说是旅行的一大妙趣之一吧。

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企業の真の競争相手は同業他社ではなく、世の中の変化だ

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今年4月にコミュニケーションの話をしようとして「韓国旅行、初めての海外旅行」という想い出話をした。

 ネット交流が盛んな今日でも現実世界での交流が欠かせないと思い、今日も少し逆戻りしたい。国内外の出張や旅行も現実世界での交流活動と言える。昔から「企業の真の競争相手は同業他社ではなく、世の中の変化だ」と言い続けてきた私は、出張や旅行を通して常にこの世の変化を実感し、なおさらこの”真の競争相手”との付き合い方を見直そうとした。

韓国旅行と同じ年の1970年、社命で3週間朝から夕方まで特訓で習ったロシア語の成果を試すために横浜からソ連船に乗りナホトカに行った。新聞社の友人と同行したためか、船で来た理由が疑問だったのか分からないが、下船まで5時間我々の荷物が徹底的に調べられた。私が秘密警察(カーゲーベー)の研究を始めるきっかけになった。その後シベリア鉄道に乗ってバイカル湖まで足を伸ばした。車中で習いたてのロシア語が一向に通じないのにがっかり。以後30回以上昔のソ連に仕事で出張したが、この時の初旅行が最も記憶に残っている。

1970年、ソ連時代のモスクワに事務所を開設した。スターリン専制記念のような第2次大戦終了後の独特の建築様式のウクライナホテルの一室が最初の事務所だった。当時のソ連は外貨不足だったが、インフラ建設、資源開発に建設・鉱山機械は必需品。ソ連国産建機の信頼性が今一だったこともあってソ連政府は、アメリカのCAT、日本のコマツを競争させて外国産建機を買い付けていた。穀物豊作の年は買い付け予算が増える。不作の年は外貨が穀物輸入に食われて建機までまわってこない。市場調査は気象予測、農産物収穫予想が重要だった。

当時の日本政府の与信政策は円建ての5年ものサプライヤー・クレジットのみ。ソ連は1ドル360円の固定相場時代にも拘わらず、円建てを好まず、5年間の為替リスクを懸念しドル建ての与信を要求した。時により商社と組んでこの要求に応じた。円建てだとソ連側が、ドル建てだと日本側が為替リスクを抱える。360円の固定相場が変動制に変わる寸前の時、円建ての未決済残高を抱えるソ連に海外でドルを調達し再貸付して円を繰り上げ返済させ、相手の為替リスクを解消させてあげたこともあった。ドル建ての自社の私的与信をソ連政府に与えた時は、5年の与信期間中返済されるかどうかの心配と、自社の為替リスク懸念の両方で、時間のたつのが大変長く感じられ、命が縮む思いをした。

この時以来、自社独自の与信をやめ、商社に頼むことにした。手数料は高いが、ソ連相手にリスクを知恵の足りないメーカが抱えるのは大変だった。お陰でソ連がロシアに変わるころのカントリーリスクには無傷ですんだ。年間2000億円の商いの年もあったからこの一部でも取りはぐれていたら事件だった。担当部長時代の話だが、不良債権に悩んでいたら私が役員になることもなかっただろう。

商品のクレーム処理にも悩まされた。2013年8月17日の朝日新聞の一面の写真を見てびっくりした。ロシア サハ共和国 ウダーチヌイのダイアモンド鉱山が極東ダイヤの宝庫として記事になっていた。この鉱山が最初に買った大型ダンプ、ブルドーザはコマツ製。ヤクートの北極に近い最果てにこの鉱山が位置している。ダンプ道路の管理が悪いのを棚に上げて壊れるのは機械が悪いとクレームを言いたてる。現場を見せろと要求しても当時のソ連は、鉱山は国家機密で外人は入れられないとの一点張り。会社のサービス技師を現地に派遣する交渉に2年を要した、客先の権限外の秘密警察、治安当局の許可がなかなか下りなかったのだろう。何とか話をつけてクレーム保証部品を送り技師を派遣することにした。行く技師たちはシベリアの果てに行くのかと出発前に家族と水杯の別かれ、日本人にはシベリア抑留のつらい話が記憶にある。先方が特別に作ったゲストハウスに滞在半年。途中で営業責任者としてこの鉱山に行った。(続き)

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今年4月我在「韩国旅行、我的初次海外旅行」一文中提及了交流这个话题。我想在网络交流盛行的今日,现实世界里的交流也是不可或缺的,今天也想回到这个话题。国内外出差以及旅行都可说是现实世界的交流活动。我从以前一直主张「企业真正的竞争对手并非同行他公司,而是世事之变迁」,我也确实总能在出差和旅行中真实地感受到这个世界的变化,并由此调整企业与这个”真正的竞争对手”之间的相处方策。

和韩国旅行同年的1970年,我受公司之命从横浜乘坐前往纳霍德卡的苏联船,这是一个能让我展示从早到晚连续3个星期俄语特训成绩的机会。不知道是因为我与报社的朋友同行,还是对我们为什么乘船来的理由抱有怀疑,我们在下船前接受了长达5个小时的彻头彻尾的行李检查。这件事成了我研究秘密警察(克格勃)的契机。那之后我们乘坐西伯利亚火车去游览了贝加尔湖。失望的是在火车上我刚学的俄语一点也没能派上用场。之后我30多次出差去过俄国,这头一次的经历最为记忆犹新。

小松于1970年在苏联时代的莫斯科开设了事务所。最初的事务所借用了乌克兰酒店的一室,乌克兰酒店那2战后的独特建筑风格使它看似有点纪念斯大林独裁统治的风貌。当时的苏联虽然外币不足,而基础建设,资源开发却必须使用建设・矿山机械。那时苏联国产建设机械尚缺信赖性,因此苏联政府常让美国的卡特彼勒与日本小松相互竞争并乘机从购买海外的建设机械。他们在粮食丰收的年份里增加购买预算,而在欠收的年份里外币要用于进口粮食,就轮不到建设机械了。由此可见气象预测和农产物收获预测在市场调查工作中的重要性。

按照当时日本政府的信贷政策,可以利用的只有以日元为结算基准的5年期供应商信贷。在1美元兑360日元的固定汇率时代,苏联因担心5年间可能产生的汇率危机,不愿意用日元而宁愿用美元结算。小松审势度势,与商社联手回应了苏联方这个要求。以日元结算冒汇率风险的是苏联,以美元结算冒汇率风险的则为日本。在从360日元的固定汇率制转换成变动汇率制之际,对于尚有未清算日元帐务的苏联,小松甚至配合他们缓解汇率风险,那就是先在海外调度好美元后再次放款,其后为他们提供短缩日元还款期间的服务。我在为苏联政府提供这个以美元为结算基准的非官方政策的信贷方策时,非常担忧他们在5年的贷款期间能否还款以及本公司的汇率风险,我感觉这5年过得尤为漫长,甚至觉得自己可能会因此而短命。那之后我们停止了本公司单枪匹马的信贷方策,使用委托商社的方式。虽然需要支付高额手续费,作为缺少这方面知识的厂家来说,比勉强承受以苏联为对手的风险好多了。万幸的是在苏联转型为俄国之际,我们并没有在这场国家风险中受损。那时与苏联之间有些年度的年销售额高达2000亿日元,其中一部分回收不了就麻烦了。那是我担任部长时代的事情,若是卷入不良债卷问题可能就毁了我成为董事的前程了。

当时的我还疲于处理商品投诉事务。 2013年8月17日的刊载于朝日新闻一页的照片震惊了我。那是一则报道俄罗斯萨哈共和国乌达奇内的钻石矿山-极东钻石宝库的消息。这个位于雅库特靠近北极的最边缘地区的矿山最初购入的大型翻斗推土机就是小松的产品。俄国人最让我棘手的是,明明是翻斗车作业现场的道路管理太差,他们却能倒打一把,一口咬定是机械的问题。我们要求到现场察看,当时的苏联却坚持矿山因属于国家机密要地,不能让外国人进入。公司花费在派遣服务技师的交涉工作上就花了2年时间,好像因为客户方面没有相关权限,而秘密警察和治安当局的许可又迟迟下不来。最后总算谈妥,运去了他们索要的部件并派去技师。历史上不乏日本人在西伯利亚被扣留的事件发生,因此技师们在奔赴西伯利亚边际之前都与家人交杯酌水,依依惜别。技师们下榻于对方特别为他们建造的招待所,作为营业主管的我途中也去了这个矿山。(续)

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