今年も続く~安崎会長の「余生三等分主義」

去る4月9日に、安崎会長の2冊目著作の協力関係者の会合が行われました。

安崎会長を含み、編集者2名と中国語翻訳者1名、計4人による顔合わせ会議兼楽しい食事会でした。
記念として会合の写真及び安崎会長からのコメントを掲載しましょう。

「3月末の予定で執筆中の本の日本語原稿が出来上がった。
中国での2冊目の本として翻訳完了後、早ければ、本年夏にでも上梓される。
中国の民間企業経営者、管理者のお役に立てればうれしい。
昨年、寧波で講演したところから、また今年も頼むと言ってきた。
私も元気な間、両国の民間企業経営者間の対話・交流の一つとして続けられれば良いと行ってくるつもりです。
写真は本の出版でお世話になった人たちとの会合の一こまです。」

4月9日に,安崎会长第2本著作出版业务的有关协作者举行了聚会。

这是一场包括安崎会长、编辑2名和中文翻译1名、共4人相聚的碰头会兼愉快的聚餐会。
特将会议纪念照片以及安崎会长的发言登载如下。

“预定3月末写完的书稿,日语原稿完成了。
作为在中国出版的第2本书,在翻译工作完成后,早则今年夏季出版。
衷心希望能对中国的民间企业经营者以及管理者有所帮助。
去年请我去宁波讲演的邀请方,今年也发来了邀请。
我也愿意在身体尚健的有生之年,能继续为促进两国民间企业经营者之间的对话以及交流出一份力量。因此,今年也将受邀前往宁波。
照片是与书籍出版的有关协作者的碰头会之场景。”

meeting1 Apr 9, 2017
meeting2 Apr 9, 2017

また、当日会合の参加者の投稿も転載します。
meeting3 Apr 9, 2017

meeting 4, Apr 9, 2017

安崎会長、6月21日アリババ関係者たちとの交流会で講演

今日、安崎会長より久しぶりに便りが届きました。去る6月21日にアリババ関係者たちとの交流会で日中グローバル企業の課題をテーマとした講演後、Q&Aの一部の紹介でした。下記の通り、シェアしておきましょう。
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Q1:安崎先生は三国志の愛読者と聞くが登場人物中誰が好きか?なぜか?
A:曹操です。人材の登用・人事評価・信賞必罰が明確、人使いがうまいところに惹かれる。

Q2.日本には、400年も500年も続く長寿企業があるが企業永続の秘訣はなにか?
A:中国では社会主義市場経済を始めて間もなく国営企業は別として、民間企業では新興企業も良く消滅している。成功を急いで求めすぎ、生き延びることを大事にしていないのではないか?存続のためには、キャシュフロウ(資金繰り)に留意しなければならない。
借金したり上場したりしても、金融機関・市場の信頼を得続ける努力を忘れてはだめだ。
後継者を時間をかけて育て成長を見守る勇気と根気も要る。日本でも優れた創業者が自分を過信し、ときに失敗している。老害は発展の敵だ。「事業の成長に最も害をなすものは、青年の過失に非ずして老人の跋扈である」という伊庭貞剛の言の通りだ。

Q3.10年で500人のビジネスリーダー候補を作るというプロジェクトで最も注意したことは?
A:将の将たる人物を見つけてきて育てることだ。

PS:アリババについてはソフトバンクの孫さんが投資し、発展後、株を売却して儲けたことぐらいしか知らないが、本日22日の新聞によると、その孫さんは、大金を投じて探してきた後継者を社長にせず自分がまだやるとのことだ。
成功した創業者の後継問題は難しい!

以 下 中 国 語

有些日子没有音讯的安崎会长今天来信,提及6月21日在阿里巴巴关系人士参加的交流会上以日中跨国企业所面临课题为主题的演讲,并介绍了演讲后一部分Q&A的内容,现分享如下。
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Q1:听说安崎先生非常喜欢阅读三国志,请问在三国的登场人物中您喜欢哪一位?为什么?
A:我喜欢曹操。他善于人才选拔、人事评价、赏罚分明、他知人善任的作风对我很有吸引力。

Q2.日本有长达400年、甚至500年的长寿企业,请问企业长寿的秘诀是什么?
A:中国开始实行社会主义市场经济后为时尚不久,且不说国营企业,民间企业中也有不少新兴企业在消失。估计是因为急于求成,急功近利,没有重视企业的生存之道吧?
要让企业存活下去,首先必须重视资金流动(资金周转)这项要务。
就算贷到款实现了股票上市,也不可忘记需继续致力于获取来自金融机关以及市场的信赖。
另外在培养接班者方面也应不惜花费时日,需要勇气与不懈的恒心。在日本时而也有优秀的创业者由于过于自信而失败。
老害是发展之敌。正如伊庭贞刚所言:“对于事业的成长,最大的危害不是青年的过失,而是老人的跋扈”。

Q3.请问您在施行10年培育500候补商业干部这个项目中最重视的事情是什么?
A:在实施那个项目时,我最重视的是致力于发现并培养那些具有将将之才的人物。

PS:关于阿里巴巴,我只知道软银的孙社长曾投资、在阿里巴巴发达后、他卖掉股票赚了钱,不过我从今天22日的新闻得知,孙社长又不让他自己花费巨款寻来的接班者继任社长之位,而是决定自己续任之事。
成功创业者的继承人问题真是一件难事啊!

三等分主義の1である「世のため人のため」の黒竜江省での交流活動 (続き)

 

前回「黒竜江省での日中交流活動サマリー」の続きです。

 

ハルビン工業大学でビジネスマン、学者、大学院生などを対象に講演をしてきた。題名は「論語と算盤」。両方とも昔中国から伝来したものだ。次のようなことを話した。

1.1955年大学新入生のころから、日中関係の将来に関心をもっていた。第二外語も当時全然人気がなかった中国語を選択した。以来60年公私ともに日中関係のウォッチャーを自任している。当時は個人で事業を起こす起業よりも会社に入り仕事をするのが普通だった。中国と将来関係が深くなりそうな業種、鉄鋼、銀行、商社、海運、機械などの会社を考えていたがコマツに入ったのは偶然のなせる業。

2. 学生時代、明治の経済人“渋沢 栄一”の伝記にふれ、論語と算盤という彼の思想に共鳴した。また母校の大学は経済人育成のために明治時代に創設され、役人になる人はまれでほとんどの卒業生が経済人を志した。創立の精神は五大州に雄飛せよ。今日の言葉に直せば、経済倫理とグローバル

3. 小松での成功と失敗の話をした後、中国のグローバル企業への私の助言として、

(A)「世界は一つではない」。この現実を認め、自分たちを取り巻く世界の多様性を認容し、その中で自己の独自性を実現していくことが必要。

(B)中華思想をやみくもに広げるだけでは今日の世界はついてこない。

講演終了後夕食時の懇談で、最近の日本で田中角栄首相の「決断と実行の政治」の人気が復活していると私が話したのに対し、ある中国人が田中角栄さんは日中国交回復の決断をした人として中国で尊敬されていると応じた。ひとしきり両国の政治と経済の関係の議論の中で、私は、戦後の日本経済の発展は政治の民主化にその基礎があるとの持論を話した。先方の一人が、“もし日本が一党独裁の政治ができれば、決断と実行が今まで以上に進み強力な国になるのにね”“中国で政治の民主化を急ぎ過ぎると、国土広大、人口の多い中国では大混乱となることを懸念する一般中国人がまだ少なくないのだ”と応じた。

アメリカの大統領選挙、英国とEUの関係、日本の参議院選挙、日中関係の将来も世界の政治と経済の動きに影響される。政治の世界は理利情に左右される、理(理念、理屈、理想)利(利益、既得権益、世代間利益)情(義理と人情、情報)。政治家志望だった子供のころ政治家には向いていないから、実業家を目指せと先生に諭された私だが、議論ばかりで決断と実行不足の今の日本はどうなっていくのかな?理・利・情・のバランスの上で日本の課題の決断と実行の行く末を考えさせられた黒竜江省への旅であった。

今天发表上次“黑龙江省的日中交流活动简要”的续篇。

 

在哈尔滨工业大学,我向商业人士、学者、研究生等到场者进行了题为“论语和算盘”的演讲。其实论语和算盘这两者都是从中国传入的。我的演讲概要如下:

1.1955年进入大学之际,我便关注着日中关系,并选择了当时还不太人气的中文选第二外语。那之后60年里,无论公私我都自负为日中关系观察家。当时比起个人创业,人们通常选择进入公司工作。所以我便考虑进入将来有可能与中国深化关系的行业,如钢铁、银行、商社、海运、机械等公司,不过由于一个偶然的机遇而进入了小松。

2. 在学生时代,我读了明治时代的经济家渋沢栄一的传记,对他的论语和算盘思想产生了共鸣。另外我的母校大学也是在明治时代为培育经济型人才而设立,希望进入政府机构工作的人极少,绝大多数都立志毕业后进入商界工作。大学的创立精神既为雄飞五大洲,用今天的话说,便是经济伦理与全球化。。

3. 介绍了小松的成功与失败经验后,我对中国的全球化企业提出了以下的建言:

(A)世界并非一个完整的世界。企业需要承认这个现实,进而包容围绕企业自身的世界多样性,并在其中探寻独自性得以实现之路。

(B)不要醉心于盲目一味地扩散中华思想,仅凭这个要想跟上今日世界的步伐,是难以行通的。

在演讲结束后的晚餐上,我在与大家交谈时提起,最近在日本,前首相田中角荣的“决断与实行之政治”人气有所复活。对此,一位中国人接话说,田中角荣氏因为对恢复日中外交关系做出了决断而受到中国人的尊敬。在气氛高涨的针对两国政治及经济关系的讨论中,我谈及我一贯的主张,战后日本经济的成长正是基于政治民主化之土壤。对方一人接话说:“倘若日本能实行一党独裁政治,说不定决断和实行能做得更好,国家兴许能更加强大呢”“在中国,若过于激成地推行政治的民主化,因国土广大、人口过多,恐将天下大乱,抱有这种担忧的中国人至今亦不在少数”。

美国的大总统选举、英国和欧盟的关系、日本的参议院选举、日中关系的将来也受世界政治及经济动向的影响。政治的世界为理利情而左右。所谓理,是指理念、道理与理想,利意为利益、既得权益、世代间利益,情则是指义理、人情和信息。在孩童时代,我曾抱有成为政治家的志愿,老师却开导我说,政治家对你不合适,还是努力成为实业家吧。再看当今,日本整日陷于无休无止的议论之中而缺乏决断及实行力度,国家将何去何从?这次黑龙江省之旅,让我对日本如何才能搞好理、利、情的平衡工作,如何就日本存在的课题进行决断和实行及其前景不由思绪纷纷。

 

三等分主義の1である「世のため人のため」の黒竜江省での交流活動

黒竜江省での日中交流活動サマリー

 

当研究会のブログは約1ヶ月半休んでましたが、安崎会長は休まずにいました。三等分主義の1である「世のため人のため」に、4月5日に出発して中国黒竜江省へ行ってきました。さっそく、いただいた随筆をレポートとして掲載しましょう。

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私が上海で出版した「聚変」の交流会で2014年に莫先生に応援してもらったことを思い出します。上海人民大学の経営大学院にたくさんのビジネスマンや学者などが来てくださり、夜遅くまでの熱心な交流会でした。

詳しい報告は、こちらからご覧いただけます▼
11月、本研究会安崎暁会長と莫邦富先生、上海で講演交流会に出席
『企業の持続的発展の可能性』テーマ討論会が、上海で開かれる

お蔭でこの「聚変」はよく売れて中国人の読者からの反応もありました。

本年4月このような読者に誘われて黒竜江省に行き、省都ハルビンで同様の交流会をやってきました。題名を「論語と算盤」としてハルビン工業大学で講演しました。日本の明治維新直後の偉大な経営者である渋沢栄一が当時の仲間たちに資本主義経済の会社でも利益の追求と同時に経済倫理を忘れてはだめだと算盤だけでなく論語の精神を企業経営に取り入れろと主張しました。
今日のグローバル企業に求められている「コーポレート・ガバナンス」に通じるテーマです。

主催者から次の機会にまた話に来てくれと頼まれました。
30年ぶりに訪問したハルビンが人口も増え高層マンションが林立する大都市に発展していることに驚きました。北京―チチハル間の新幹線の駅や地下鉄もできていました。これから、高速道路も増設するとのことでした。

黒竜江省では戦争直後の混乱により生じた日本人の中国残留孤児も多くおられました。

次回来るときにハルビン工業大学の名誉教授になってくださいとも言われました。
その任に非ずですが、黒竜江省と日本との交流は北京上海ほど盛んではなく時々行って民間交流に貢献するのも必要かと考えながら帰ってきました。(続く)

黑龙江省的日中交流活动简要

 

本研究会修博大约一个半月了,然而这期间安崎会长并没有休息,而是践行着三等分主义之1“为世界为他人”,于4月5日出发去了黑龙江。现将会长发来的随笔作为活动报告公之于众。

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2014年,我邀请了莫先生到上海为我出版的《聚变》一书的发表交流会助阵。记得在上海人民大学经营大学院的交流会上,众多商界人士、学者等精英汇聚一堂,气氛热烈,交流一直持续到晚上。

点击以下链接可见详细报告▼
11月、本研究会安崎暁会長と莫邦富先生、上海で講演交流会に出席
『企業の持続的発展の可能性』テーマ討論会が、上海で開かれる

承蒙莫先生的支持,《聚変》一书得以畅销并在中国读者中引起了反响。

今年4月,我接受读者邀请,出席了在黑龙江省的省会哈尔滨举办的同样的交流会。
在哈尔滨工业大学,我做了以“论语和算盘”为题的演讲。“论语和算盘”是伟大的经营者渋沢栄一氏提出的理论,他在日本的明治维新之后不久就对当时的企业家们倡议,资本主义经济体制下的公司在追求利益的同时也不可忘记经济伦理,企业不仅要将赚钱之术、还需将论语精神纳入经营管理工作之中。
这个主题其实与时代赋予当今全球化企业的“公司治理”之主题可说颇有相通之处。

主办方表示,希望还有机会邀请我去。
我这次哈尔滨之行是时隔30年的再访,目睹人口增长、高楼林立、已经焕然一新成了大都市的哈尔滨,惊叹不已。北京和齐齐哈尔之间既通了高铁也通了地铁,据说今后还将修通高速公路。

黑龙江省,在战争刚刚结束的混乱状况下还养育了许许多多的日本残留孤儿。

主办方还希望我下次去当哈尔滨工业大学的名誉教授。虽说大任难当,不过回程途中我考虑,黑龙江省和日本的交流活动远不如北京及上海搞得那么有声有色,若有机会我是应该再去那里,为中日民间交流活动贡献一份自己的力量。(待続)

三等分主義~現役時代から引退後も歩き続けている王道

 

グローバル企業(人)の姿~アフガニスタン地雷除去への献身的な支援活動

 

この前、安崎会長より「余生三等分主義の2 家族のため」をトピックとする家事手伝い奥様との南アフリカへの旅についてのお話をいただきましたが、その後いただいたお話がまた「余生三等分主義の1 世のため人のため」に戻ったような気がします。しかし、コマツ現役時代のお話なので余生についてではないのです。ところですが、去年10月の「藍染めの海外普及懇談会~安崎暁武勇伝&藍染め武勇伝」に少し言及され、今回詳細化された遺書を残して対人地雷除去テスト視察の為にアフガニスタンへの旅の話が、確かに世のため人のためという話題に最高な内容なので、三等分主義という生活スタイルが引退後の安崎会長のいきなりの発想ではなく、実に現役時代からすでに歩き始め、引退後も歩き続けている王道じゃないかと思うようになりました。

—-安崎会長からの地雷排除現場視察紀行文—–

アフリカもまだ脚光を浴びるに至っていませんが、ついでにアフガニスタンへ行った時の話をいたしましょう。

アフガニスタンは日本の1・7倍の国土を持ち、イラン、パキスタン、タジキスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、中国に囲まれた多民族国家です。

日本とは1930年に修好条約を締結、1969年国王訪日、1971年皇太子ご夫妻(当時)アフガニスタン訪問、かつては地上の天国ともいわれましたが、王政崩壊後は内乱が続き、2002年カルザイ大統領がタリバンを退けたころ、アフガニスタン支援の世界会議が東京で開催されました。コマツなど日本の建機メーカーは対人地雷を取り除く自動建機をアフガニスタンに供給しようというプロジェクトに取り組みました。地雷には対戦車地雷と対人地雷の2種類があります。ソ連の侵攻、そのあとの内戦状態により対人地雷が大量に埋設されており、空港、道路、上下水道、学校の建設も進みません。復興のためには、まず地雷を取り除く必要があったのです。国連は地元の人手を使い地雷の除去をやっていました。危険な作業で爆発のたびに手足をなくす作業員が続出していました。自動建機で人身事故の被害をなくし、200年かかると予想された除去作業を早く終わらせようと計画したのです。

まだ一抹の不安もあったが、2005年3月にアフガニスタンに行ってきた。“危険極まりない、誘拐されたらどうするの?”会社全体で私の訪問には大反対。公安委員会、外務省、国連などに応援してもらい安全確保の対策は講じた上で、対人地雷用自動建機の計画推進という大目的のため、「捕まったら身代金は払わなくてよい、殺されたら遺骨も回収不要」という遺書を書き、万一の場合には、TVでこの遺書を読み上げてよいと言い残してでかけた。百聞は一見に如かず、首都カブールは人と車で混雑していた。日本からの緊急援助で送られたバスやパトカーも日の丸を車体に刷り込んで街を走っており、協力が目に見えるせいで市民は日本の援助に感謝していた。大使館、国際協力機構(JICA)、NGOなど100人ほどの日本人も地方を飛び回って汗を流していた。

アフガニスタンで対人地雷除去現場視察

出発前に丁度来日していたアメリカのアフガン駐在大使、とも話ができた。彼の話を聞いて、アメリカの国務省の懐の深さを実感した。なんとこの大使は国務省の外交官だが、出身はアフガニスタン人でカルザイ大統領ともツーカーの仲なのだ。いざというときにこういう人を大使に起用できる人材のストックがあるのだ。彼は我々の地雷除去の計画の重要性・緊急性にも理解を示してくれた。

アフガニスタンで国連現地代表と

ドバイ経由の国連機に乗せてもらい到着後直ちに空港のすぐそばの地雷除去作業中の現場に案内してもらった。一瞬も気の抜けない危険な手作業だ。国連の専門家と現地の人たちが苦労している。地形や状況は現場ごとに異なり作業の無人化は簡単ではないが、日本の技術が貢献できる分野であるとの確信を得た。(続き)

 

中文~全球企业(人)的风采~対阿排雷工程奋不顾身的支援活動

 

前些日子登载了安崎会长以「余生三等分主义之2 为家人」为话题的家务事帮手以及偕夫人南非之旅的故事,那之后收到的内容读来感觉又回到了「余生三等分主义之1 为世界为他人」的话题。不过这回的故事却是发生于小松现役时代,并非退役之后的余生中。但是,在去年10月的「藍染めの海外普及懇談会~安崎暁武勇伝&藍染め武勇伝」里曾稍有提及,这次详细道来的留下遗书果敢实现了以对人地雷排除测试视察为目的的阿富汗之旅的话题,就「为世界为他人」这点而言,实是再合适不过的内容。由此可见,三等分主义这个生活方式并非安崎会长隐退后突然冒出的念头,而应该是他在现役时代就开始踏上,隐退后也坚持不懈,至今还在坚持行走中的一条王道。

—-安崎会长的排雷现地视察实记—-

上次聊到的非洲尚未成世界大舞台的耀眼明星,今天想起了一些访问阿富汗时的往事,因此暂且搁一搁非洲的话题。

阿富汗国土相当于日本国土的1.7倍,是一个毗邻伊朗、巴基斯坦、塔吉克斯坦、乌兹别克斯坦、土库曼斯坦以及中国的多民族国家。

阿富汗于1930年与日本缔结友好条约,1969年国王来访日本,1971年日本皇太子夫妇(当时)访问阿富汗。那时的阿富汗曾被誉为地上天堂,然而王政崩溃后不幸内乱连连,2002年卡尔扎伊总统终于击退了塔利班,支援阿富汗的世界会议在东京召开。小松等日本建设机械制造企业提出为阿富汗提供排雷自动建设机械并致力于这个项目的启动工作。地雷分为对战车地雷和对人地雷2种。因苏联的进攻以及之后的连年内战,埋设地下的大量对人地雷导致机场、道路、自来水、学校的建设无法进行。复兴阿富汗,首当其冲的工作是排除地雷。虽然联合国已经召集当地人手开始了排雷工作,但是因为工作的危险性,每次地雷爆炸都发生工作人员被炸掉手脚的惨事。若用自动机械排雷,可望杜绝人身事故,使原本需要200年才能结束的排雷工程有望早日完成,我们的计划便是出于这个目的而制定。

在时局还有点不安定的2005年3月,我实现了阿富汗之旅。当时全公司发出的都是异口同声极力反对的声音“太危险了,被拐被绑怎么办?”。但是,我力图获得了公安委员会、外务省、联合国等方方面面的支持,制定了确保安全的对策后,为了对人地雷排除用自动建设机械的计划的推行这个大目的的实现,留下了「如果被绑不用支付人质赎金,被杀害也不用收回遗骨」的遗书,并告诉大家若万一事故发生,可以在电视上宣读这封遗书后,实现了阿富汗排雷视察之旅。百闻不如一见,首都喀布尔人车混杂,险象环生。日本运送来的刷着太阳旗的紧急援助公交以及巡逻车也在街中运行,因为这些协力活动有目共睹,所以市民对日本的援助报以感谢之请。来自于大使馆、国际协力机构(JICA)、NGO等100位左右的日本人也飞奔于各地,在援助活动中身体力行,尽心竭力。

出发前与恰好访日的美国驻阿富汗大使也聊了聊。他的言谈让我领会到了美国国务院的城府之深,包容力之大。这位大使虽然是国务院的外交官,却是阿富汗人、是卡尔扎伊总统心照不宣的友人。为急需时有人可用,看来美国早就撒网收罗这类人物于帐下了。他表示理解我们的排除地雷计划的重要性及紧急性。

乘坐经由迪拜的联合国飞机,一到阿富汗我立马让人带我去了机场附近的地雷排除作业现场。在那里亲眼目睹这一分一毫也不可掉以轻心的危险人工作业。见证了联合国专家们与当地住民共度危难的身姿。通过视察,我感觉现场的地形及状况各有差异,使得排雷作业无人化也并非简单的事情,但我也确信,日本的技术一定能在这一分野大有作为,大有贡献。(待续)