安崎会長からの便り~癌との平和共存生活 日々是好日

安崎会長より、癌との平和共存生活を楽しんでいるとの嬉しい便りが届きました。ご同意を得たのでシェア致します。

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昨年12月11日に生前葬みたいな安崎 暁 感謝の会を催してから3か月以上が経ちました。

病院に通っての延命治療をやめましたので、医者の言う通り、私は昨年の内にこの世とはオサラバするものと覚悟していました。まさか新年を迎え今も生きているとは自分の想像外のことでした。

家内のケア、食事・免疫療法にある程度従い、自分としてもストレスゼロの癌との平和共存生活を楽しんでいるおかげかも知れません。胆汁をパイプで体外に排出し、痛みは薬で抑えながらの生活ですからまだ先のことは分かりませんが、食欲がある間は日々是好日と毎日を過ごせそうな気がしています。

食欲と言えば、81年の私の生涯で忘れられない食べ物の有難さの記憶が三件あります。

その一、1945年戦火の迫る東京から家族と別れて、学校ごと新潟へ集団疎開したその日に汽車の中で食べたこの世の別れのような母親手作りの“ラスク”の美味しかったこと。お互いに生きて再会しようという望みが詰まっていたのだろう。

その二、1984年胃と十二指腸潰瘍手術で胃の三分の二を摘出した時、脂肪太りのため手術が難しく時間がかかった。、全身麻酔からさめて、初めて口に入れた白湯の格別のうまさ。どんなご馳走も叶わない。

その三、1971年、冬のソ連出張時、野菜不足で慢性ビタミン不足。しおれた人参、ジャガイモ、玉ねぎの他は何もない、ないないづくしのモスクワ事務所の夕食時、アルメニアへの出張から帰ってきた商社駐在員が持ち込んできてくれたアルメニア大根1個、これを大根おろしにして皆で食べた。新鮮なビタミンの味。

世界中のご馳走を食べてきただが、この三つはどんなご馳走より忘れられない私のグルメの記憶である。

アルメニアの大根の話を当時の商社の友人と感謝の会で語り合った。
どこをどう都合したか、彼からアルメニアの大根ですよ、と私の自宅にこれが届けられた。45年前のビタミン補給の記憶とシベリア開発のプロジェクトに携わった商社の友人達との懐の深い付き合いを掛け合わせて大根おろしを美味しく味わった。
彼らのことを自他共に商社在籍の“コマチスト”と称していた。彼らのおかげでコマツの壮大なシベリア開発の事業が開けていった。

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最近收到安崎会长的来函,得知他与癌和平共处、愉快地生活着。征得他的同意,特分享如下。

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自去年12月11日我举办类似于生前葬的安崎暁感謝会之后,3个多月过去了。

那时因决定不去医院接受延命治疗,医生说我活不到来年,对此我已经做好了精神准备。然而我却不仅活过了新年、并且现在还活着,实在出乎自己的预料。

我在一定程度上遵从妻子的饮食、免疫疗法,也或许是自己能零压力地与癌和平共处、愉快地生活也见了效。现在胆汁通过胆汁管排出体外,疼痛通过止疼药抑制,虽说这样的日子前景难料,但尚有食欲的日子给了我“日日是好日”的感受。

提起食欲两字,我不由想起了在我81年的人生之中难忘的三宗可贵记忆。
其一是在1945年从战火迫近的东京和家人分开,随学校集体疏散去新潟的那天在火车上吃的母亲亲手做的有点生离死别味道的脆甜饼干,里面或许是饱含了母亲互相能活着再见的切切心愿,好吃极了。
其二是1984年在胃及十二指肠溃疡手术中被摘除了三分之二的胃之时,脂肪过多令手术时间延长。当我从全身麻醉中醒来,那入口的第一口白开水的特殊美味,令我感觉胜过世间所有的美味佳肴。
其三是1971年,冬季出差苏联之时,由于蔬菜不足导致了维生素的慢性不足。除了枯萎的胡萝卜、土豆和洋葱,几乎没有其他东西可吃。在这山穷水尽的莫斯科事务所,有天晚饭时,大家把从亚美尼亚出差归来的商社驻在员带回的1根亚美尼亚萝卜擦成萝卜泥,美美地享用了一餐。那新鲜的维生素的味道至今还口留余香。

虽然尝遍了全世界的美味佳肴,然而这三种美食却胜过任何美味,成了我一生难以忘怀、回味无穷的美食记忆。

在去年的感谢会上,我和当时的商社朋友还谈起了亚美尼亚萝卜的故事。
没想到那之后,不知道他费了什么周折竟将亚美尼亚的萝卜送到了我家。我将45年前补充维生素的记忆以及与参与西伯利亚开发项目的商社朋友们之间的深交记忆参合在一起,再次品尝了美味的萝卜泥。

他们都被称为、也自称为身在商社的“小松主义者”。承蒙他们的努力,小松壮大的西伯利亚开拓事业得以成功展开。

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