三等分主義~現役時代から引退後も歩き続けている王道

 

グローバル企業(人)の姿~アフガニスタン地雷除去への献身的な支援活動

 

この前、安崎会長より「余生三等分主義の2 家族のため」をトピックとする家事手伝い奥様との南アフリカへの旅についてのお話をいただきましたが、その後いただいたお話がまた「余生三等分主義の1 世のため人のため」に戻ったような気がします。しかし、コマツ現役時代のお話なので余生についてではないのです。ところですが、去年10月の「藍染めの海外普及懇談会~安崎暁武勇伝&藍染め武勇伝」に少し言及され、今回詳細化された遺書を残して対人地雷除去テスト視察の為にアフガニスタンへの旅の話が、確かに世のため人のためという話題に最高な内容なので、三等分主義という生活スタイルが引退後の安崎会長のいきなりの発想ではなく、実に現役時代からすでに歩き始め、引退後も歩き続けている王道じゃないかと思うようになりました。

—-安崎会長からの地雷排除現場視察紀行文—–

アフリカもまだ脚光を浴びるに至っていませんが、ついでにアフガニスタンへ行った時の話をいたしましょう。

アフガニスタンは日本の1・7倍の国土を持ち、イラン、パキスタン、タジキスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、中国に囲まれた多民族国家です。

日本とは1930年に修好条約を締結、1969年国王訪日、1971年皇太子ご夫妻(当時)アフガニスタン訪問、かつては地上の天国ともいわれましたが、王政崩壊後は内乱が続き、2002年カルザイ大統領がタリバンを退けたころ、アフガニスタン支援の世界会議が東京で開催されました。コマツなど日本の建機メーカーは対人地雷を取り除く自動建機をアフガニスタンに供給しようというプロジェクトに取り組みました。地雷には対戦車地雷と対人地雷の2種類があります。ソ連の侵攻、そのあとの内戦状態により対人地雷が大量に埋設されており、空港、道路、上下水道、学校の建設も進みません。復興のためには、まず地雷を取り除く必要があったのです。国連は地元の人手を使い地雷の除去をやっていました。危険な作業で爆発のたびに手足をなくす作業員が続出していました。自動建機で人身事故の被害をなくし、200年かかると予想された除去作業を早く終わらせようと計画したのです。

まだ一抹の不安もあったが、2005年3月にアフガニスタンに行ってきた。“危険極まりない、誘拐されたらどうするの?”会社全体で私の訪問には大反対。公安委員会、外務省、国連などに応援してもらい安全確保の対策は講じた上で、対人地雷用自動建機の計画推進という大目的のため、「捕まったら身代金は払わなくてよい、殺されたら遺骨も回収不要」という遺書を書き、万一の場合には、TVでこの遺書を読み上げてよいと言い残してでかけた。百聞は一見に如かず、首都カブールは人と車で混雑していた。日本からの緊急援助で送られたバスやパトカーも日の丸を車体に刷り込んで街を走っており、協力が目に見えるせいで市民は日本の援助に感謝していた。大使館、国際協力機構(JICA)、NGOなど100人ほどの日本人も地方を飛び回って汗を流していた。

アフガニスタンで対人地雷除去現場視察

出発前に丁度来日していたアメリカのアフガン駐在大使、とも話ができた。彼の話を聞いて、アメリカの国務省の懐の深さを実感した。なんとこの大使は国務省の外交官だが、出身はアフガニスタン人でカルザイ大統領ともツーカーの仲なのだ。いざというときにこういう人を大使に起用できる人材のストックがあるのだ。彼は我々の地雷除去の計画の重要性・緊急性にも理解を示してくれた。

アフガニスタンで国連現地代表と

ドバイ経由の国連機に乗せてもらい到着後直ちに空港のすぐそばの地雷除去作業中の現場に案内してもらった。一瞬も気の抜けない危険な手作業だ。国連の専門家と現地の人たちが苦労している。地形や状況は現場ごとに異なり作業の無人化は簡単ではないが、日本の技術が貢献できる分野であるとの確信を得た。(続き)

 

中文~全球企业(人)的风采~対阿排雷工程奋不顾身的支援活動

 

前些日子登载了安崎会长以「余生三等分主义之2 为家人」为话题的家务事帮手以及偕夫人南非之旅的故事,那之后收到的内容读来感觉又回到了「余生三等分主义之1 为世界为他人」的话题。不过这回的故事却是发生于小松现役时代,并非退役之后的余生中。但是,在去年10月的「藍染めの海外普及懇談会~安崎暁武勇伝&藍染め武勇伝」里曾稍有提及,这次详细道来的留下遗书果敢实现了以对人地雷排除测试视察为目的的阿富汗之旅的话题,就「为世界为他人」这点而言,实是再合适不过的内容。由此可见,三等分主义这个生活方式并非安崎会长隐退后突然冒出的念头,而应该是他在现役时代就开始踏上,隐退后也坚持不懈,至今还在坚持行走中的一条王道。

—-安崎会长的排雷现地视察实记—-

上次聊到的非洲尚未成世界大舞台的耀眼明星,今天想起了一些访问阿富汗时的往事,因此暂且搁一搁非洲的话题。

阿富汗国土相当于日本国土的1.7倍,是一个毗邻伊朗、巴基斯坦、塔吉克斯坦、乌兹别克斯坦、土库曼斯坦以及中国的多民族国家。

阿富汗于1930年与日本缔结友好条约,1969年国王来访日本,1971年日本皇太子夫妇(当时)访问阿富汗。那时的阿富汗曾被誉为地上天堂,然而王政崩溃后不幸内乱连连,2002年卡尔扎伊总统终于击退了塔利班,支援阿富汗的世界会议在东京召开。小松等日本建设机械制造企业提出为阿富汗提供排雷自动建设机械并致力于这个项目的启动工作。地雷分为对战车地雷和对人地雷2种。因苏联的进攻以及之后的连年内战,埋设地下的大量对人地雷导致机场、道路、自来水、学校的建设无法进行。复兴阿富汗,首当其冲的工作是排除地雷。虽然联合国已经召集当地人手开始了排雷工作,但是因为工作的危险性,每次地雷爆炸都发生工作人员被炸掉手脚的惨事。若用自动机械排雷,可望杜绝人身事故,使原本需要200年才能结束的排雷工程有望早日完成,我们的计划便是出于这个目的而制定。

在时局还有点不安定的2005年3月,我实现了阿富汗之旅。当时全公司发出的都是异口同声极力反对的声音“太危险了,被拐被绑怎么办?”。但是,我力图获得了公安委员会、外务省、联合国等方方面面的支持,制定了确保安全的对策后,为了对人地雷排除用自动建设机械的计划的推行这个大目的的实现,留下了「如果被绑不用支付人质赎金,被杀害也不用收回遗骨」的遗书,并告诉大家若万一事故发生,可以在电视上宣读这封遗书后,实现了阿富汗排雷视察之旅。百闻不如一见,首都喀布尔人车混杂,险象环生。日本运送来的刷着太阳旗的紧急援助公交以及巡逻车也在街中运行,因为这些协力活动有目共睹,所以市民对日本的援助报以感谢之请。来自于大使馆、国际协力机构(JICA)、NGO等100位左右的日本人也飞奔于各地,在援助活动中身体力行,尽心竭力。

出发前与恰好访日的美国驻阿富汗大使也聊了聊。他的言谈让我领会到了美国国务院的城府之深,包容力之大。这位大使虽然是国务院的外交官,却是阿富汗人、是卡尔扎伊总统心照不宣的友人。为急需时有人可用,看来美国早就撒网收罗这类人物于帐下了。他表示理解我们的排除地雷计划的重要性及紧急性。

乘坐经由迪拜的联合国飞机,一到阿富汗我立马让人带我去了机场附近的地雷排除作业现场。在那里亲眼目睹这一分一毫也不可掉以轻心的危险人工作业。见证了联合国专家们与当地住民共度危难的身姿。通过视察,我感觉现场的地形及状况各有差异,使得排雷作业无人化也并非简单的事情,但我也确信,日本的技术一定能在这一分野大有作为,大有贡献。(待续)




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